大阪府立西成高等学校校長山田勝治先生「『分けない』を土台にしたうえでのリスペクト(前編)」

1974年に開校し、2006年には知的障がい生徒自立支援コースを設置、2015年からは総合学科エンパワメントスクールに改編された大阪府立西成高等学校。西成高校ならではの文化や姿勢、具体的なエピソードなどについて、校長である山田勝治先生にお話を伺いました。

 

 

―― 西成高校のことが紹介されたNHKの『逆転人生』の放送内容や学校ホームページ等を拝見させていただいて、学ぶ・育つということはもちろんある中で、「ともに在る・ともに生きる」ということがその土台にあるように感じました。そうした姿勢や在り方は、山田先生の中に元々あったものなのでしょうか?

 

そもそも「分けない」

西成高校の出だしそのものが、「分けない」というところから始まっています。それを私が受け継ぎ言語化はしていますが、私が始めたわけではなく、本校がもともと持っていた精神だろうと思います。
1979年に養護学校の義務教育化が始まって以来、子どもたちは、障がいの有無によって、幼いときから「分けられる」ということがベースになりました。いわゆる支援学校や養護学校に行くのではなく、地元の学校に在籍している場合であっても、その学校の中で「通常学級」と「支援学級」に「分ける」ということがどうしてもある状況です。

具体的に、知的障がい生徒自立支援コースに関して言えば、大阪公立高校のうちの11校に設置されていますが、西成高校以外の学校には、自立支援コースの生徒だけのクラスがあります。もし、自立支援コースの生徒が学年あたり3人ならば、登校してまず向かう先は、その3人だけのクラスです。そして、出欠確認や朝の連絡が済んだ後に、自立支援コースのクラスから通常クラスに移動するという形をとります。

ところが、本校には、そうした支援学級的なものが、そもそもありません。例えば、重症心身障がいの山田くんが入学して1年1組に所属すると、その1組以外に山田くんのクラスメイトはいません。朝、登校してからずっと、授業はもちろん、体育祭も遠足も一緒です。このように、「常に場を共有するのが当たり前」であり、「一緒にいることがお互いにとって幸せ」ということが、本校の土台にあります。

 

 

子どもの中で子どもが育つ

ちょうど先日、文化祭のビデオ作品の撮影があったのですが、門川さんの息子のみくくんが楽しそうにそこにいて、周りの生徒たちも彼に声をかけながら楽しそうにしていました。
みくくんは、自分の意思で言葉を発することができませんが、一緒に「そこにいる」こと、それが社会のあり方として大事だということが、本校の土台にあります。

(文化祭のビデオ作品撮影中)

 

――大人も子どもも関係なく、多くの場合、「何かしたから価値がある」とか「何かできないと駄目」というようなしんどさを抱えやすいと思うのですが、一緒に「そこにいる」だけで感じられることが、そこで共有されているのですね。

 

役立ってないようで役立っていたり、価値がないようで価値があったりするのが、この社会だと思います。多分、生徒たちは、本校で過ごす3年間で、そうしたことを感じられるようになるのではないかな、と。

例えば、集会が終わったら、移動しやすいように、車椅子の生徒が最初に体育館から出て行くということを、当たり前のこととしてみんなが思うわけです。

一方で、車椅子に乗っていない生徒が自分たちを優先してエレベーターを使うというようなこともゼロではありません。だからといって、本校では、「車椅子の生徒以外はエレベーターを使ってはいけません」とは言いません。「使っていいよ〜」と言います。車椅子の生徒以外は使ってはいけないと言えば、やはり「分ける」ことになりますので。

ただし、「エレベーターを作ったのはなぜ?車椅子を使っている生徒たちは階段を上がれないからだよね。だから、その生徒たちが優先だよね」ということは大事なこととして伝えますし、みんなも理解はしていると思います。

このように、「子どもの中で子どもが育つ」、「子どもを変えられるのは子ども」という精神を、本校は持っているのだと思います。

 

(「障がい理解HR」という授業の後の、とある生徒の感想文)

 

 

先生たちも経験を通して理解・成長していく

私は、西成高校に赴任する前にもエンパワメントスクールのような学校にいましたが、障がいのある生徒がそんなに多くいたわけではありませんでした。日本の高等学校は、点数や学力で輪切りにして分けますので、「学習して良い成績をとることが役に立つ」と考えがちです。また、先生たち自身、学校や勉強が好きな人たちが多いのではないでしょうか。
そうした中で、障がいのある生徒やその意味について考える機会がこれまであまりなかった先生たちも、彼らと一緒に学校で過ごす中で、理解や成長がとても進んでいくように感じています。

 

――生徒のみなさんだけでなく先生方にとっても、西成高校に来て初めて感じることや変化があるということなのですね。例えば、山田先生が初めて西成高校に来られて、ハッとしたことというのは、何かあったのでしょうか?

 

20年ほど前までは教壇に立って、色んなことをしていたのですが、2005年に初めて西成高校に転勤した後、過去に受け持っていた生徒が思い浮かんで、「実は、あの生徒も軽度の知的障がいがあったのかもしれない」とようやく気づいたことがありました。もっと早くに気づいていれば、生徒たちへの声の掛け方も違ったでしょうし、仲間作りをもっと一緒にすることもできたのでしょうが・・・私は本当に失敗したな、申し訳ないな、という思いがあります。

逆に、西成高校にきて、そこを自分で客観視できるようになったのは、遅まきながら、自分の成長だなとは思っています。ですから、こうしたことは、人に伝えたいですし、学校の中で生かしていきたいと感じています。

 

――教員としてクラス担任をされていた頃と、校長先生でいらっしゃる今とで、生徒たちとの関わり方において、特にどのような違いが大きいのでしょうか?

 

「おじいちゃん」的距離感

校長があまり生徒に関わりすぎると、先生たちをないがしろにしてしまいます。先生たちが、最前線で生徒たちと触れ合うことが必要ですし、生徒たちにとって大事だと思います。

校長は、「おじいちゃん」として、遠くから見守ってときどき優しい言葉をかける感覚でいます。そうした中で、生徒の「できないこと」や「反抗すること」など、色々なことを許せるようになりました。色んな意味がやっとわかってきたともいえるでしょうか。これまでにも、ある意味わかっていたのかもしれませんが、わかろうとはしていなかったように思います。自分の高校時代を振り返れば、障がいがある子もない子も、その成長の中で、みんな同じような思いをきっと持っているのだろうなということが、今になってやっとわかりました。ですから、これからがいいときじゃないでしょうか。

 

後編に続く)

インタビュー:福田 2021.10.25

 

プロフィール:

山田 勝治(やまだ かつじ)

大阪府立西成高等学校 校長

1957年、大阪市西成区生まれ。
1990年から2004年までの15年間、「成人識字」教室の運営に関わる。05年、西成高校に教頭として赴任、09年から13年3月まで同校校長を務めた後、異動。17年、同校校長として再赴任。「基礎教育保障学会」所属。
著作に『格差をこえる学校づくり 関西の挑戦 阪大リーブル』(志水宏吉編、大阪大学出版会)内の第2部『「先端でもあり、途上でもある」—高校版「UD化」計画—』、『わたしたち(西成)は二度「消費」された』(ヒューマンライツ2019年9月号)。また同校で全国初めて開始された「校内居場所カフェ」について、に「となり」カフェという企(たくら)みーハイブリッド型チーム学校論(『学校に居場所カフェをつくろう!-生きづらさを抱える高校生への寄り添い型支援』(居場所カフェ立ち上げプロジェクト編著,2019))を執筆。
2021年1月NHK総合「逆転人生」にて取り上げられる。