小金井市教育長 大熊雅士さん『差別という呪いから解き放たれるために(前編)不登校を生み出す無意識のものさしを疑え』

 

公立小学校教諭から区・市・東京都の指導主事を経て、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授などを歴任後、現在小金井市の教育長をされている大熊雅士さん。Fox Projectについてご説明した時に、真っ先に「これは大事なプロジェクトだ」と勇気づけてくれました。大熊さんは、不登校の問題に長年取り組み、東日本大震災で被災した子どもたちのキャンプや、さまざまな地域活動も積極的にされています。そんな大熊先生に現在の学校における特別支援のあり方、課題、そして一番変えなければいけないところはどこか、お伺いしました。

 

 

ーー大熊先生はもともと小学校の担任だったのですね。その後、指導主事としてキャリアを積まれ、大学の特命教授になられました。その間、東北の震災で被災した子どもたちの心のケアを目的とした「みどりの東北元気キャンプ」のキャンプディレクターを務められました。その後、不登校の子どもたちに対する学習支援、療育などを行う、カウンセリング研修センター学舎「ブレイブ」を設立し、教育長になられた後も、学芸大学構内にある適応指導教室である「学大もくせい教室」を設置したり、地域の教育活動を活性化したりするため、様々な活動に取り組んでいますね。
もしかしたら「学校」だけではまだまだできていないことがある、と考えられていることはありますか?

 

僕は平成9年に小金井市の指導主事になりました。当時小金井市の教育の一番の大きな課題が不登校だったんです。私が赴任したその日に、小野教育長に教育長室に呼ばれ、「不登校問題を解決するように」と言われました。しかし、その頃の僕には何から取り組んでいけばよいのかさえ全くわかりませんでした。そこで僕は東京学芸大学に助けを求めに行ったのです。そこで小林正幸教授と出会い、不登校のことを色々教えていただきました。その後小林先生の協力を得て、様々な不登校対策に取り組みを始めました。保健室登校等学習指導補助員として大学院生を学校に派遣する制度は、日本で初めての取り組みとなりました。
 
また、不登校の子どもたちの親子キャンプを行いました。さらに、学校には月に7日以上休んだ子どもを教育委員会に報告させ、対応策を検討するというシステムも作りました。その結果、不登校の子の数を84人から半分に減らすことができたのです。その当時、他市が不登校を激増の中、半減させることができたものですから、文部科学省の不登校資料作成委員に選ばれてしまいました。なんとその委員会に小林先生もいらっしゃったのです。そんな縁もあり、それから10年以上経った後、小林先生が学芸大学教職大学院の準備室長を務めていたこともあり、大学院に誘っていただいたのです。
 
学芸大にいたときは、全国各地から不登校対策の講演を依頼されていましたから、不登校の専門家みたいな顔をしていたのではないかと思います。そんなこともあり僕は調子に乗り、大学を辞めて、不登校の子の学校をつくるために、カウンセリング研修センター「学舎ブレイブ」を小林先生と立ち上げるました。立ち上げた当時の僕には、成果を上げることができるという自信も少なからずあったと思います。しかしながら、実際に朝から晩まで不登校の子どもたちと生活を共にすると、これまでの不登校に関する知識など全く通用しないことを実感することになるのです。この時これまでの教員生活で培った「子ども観」が音を立てて崩れていったのです。
 
その頃教育相談の世界では、あまり取り上げられていなかったHSC(Highly Sensitive Child)という音や匂いに敏感で、集団行動が苦手な子どもたちに、ブレイブで初めて出会いました。また、アスペルガーやADHD(注意欠陥・多動性障がい)の子どもたちにも出会いました。しかしながら、僕がそれまで本で学んだ対応策では、効果を上げることができなかったのです。僕自身が、教育相談を正確に理解できていれば、そのようなことはなかったかもしれませんが、とにかくそれまでに身に付けてきた知識では、通用しなかったのです。ということは、全国で講演してた内容や方法では、不登校の子どもたちをすべて理解することにはならなかったという事です。

 

 

ーーブレイブで多くの子ども達と出会う中で、子どもの見方はどのように変化していったのですか?

 

人が「ともだち」と言うときは、結局のところ「自分と同じような趣味を持つ人」「自分と価値観が似ている人」のことを指していることが多いように思います。なぜなら、それまで生きてきた人生史、自己形成史といっていいと思いますが、それに基づいて出来上がった「自分ものさし」が基準としているからです。よって、その「自分ものさし」だけでは、本当に狭い範囲の人にしかつながることができない、光をあてることができないのです。ブレイブを立ち上げた頃、教員生活で作り上げられた「自分ものさし」では、不登校の子どもたちを理解できなかったということです。
 
ここで、少し脱線になるのですが、僕の「自分ものさし」について、話をしたいと思います。僕の父親は警察の剣道の師範をしていたものですから、幼い頃から剣道をさせられていました。それもかなりスパルタです。そのかいあって、小学生時代から剣道で東京代表になっていました。高校では、都立高校でありながらインターハイを目指していました。その頃の座右の銘は、「人間の限界に挑戦」でしたし、居間に飾ってあった額には、「心身鍛錬」と書かれていました。そんな家庭で育ってきたものですから、「努力は何より大事」「途中で弱音なんか絶対にはかない」そんな「自分ものさし」ができあがっていたと思います。
 
このような自己形成史によって作り上げられた「自分のものさし」で測れない人、例えば「少しでも辛いことがあると、途中で諦める人」「現状に満足し、新しい挑戦をしようとしない人」が、僕には絶対に許せなかったのです。しかも、その「自分ものさし」で測れない人を受け入れようとすると、「やめておいた方がいい」「冗談じゃない」いうブレーキがかかるのです。なぜなら、そのようなことを受け入れることは、自分の生き方を否定することになるからです。ここで気をつけなければならないことは、このような判断がくだされたとしても、それを意識していなことが多いということです。意識していれば修正もく効くのですが、意識していないのですから、自ら修正することがとても難しいのです。
 
このように自己形成史に基づく潜在的に出来上がったしまった価値観によって、判断してしまうことを、僕は「呪い」と言うことにしました。
 
つまり、無意識の「呪い」があることを自覚し、受け入れることができない限り、自分の価値観を超えた人たちとは永遠に「ともだち」になれないということです。

 

 

次回へ続く)中編はブレイブの現場で具体的にどのような問題がおきたのか、そうしたときに先生は何をされたのか、教育の現場で何を大事に思っているのかについてお話しを伺っていきます。

 

インタビュー:2021.11.18

 

 

プロフィール:

大熊 雅士(おおくま まさし)

小金井市教育委員会教育長
公立小学校教諭から区・市の指導主事を経験し、東京都教職員センター統括指導主事になる。その後、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授、カウンセリング研修センター学舎ブレイブ室長を経て、2018年4月より現職。また東日本大震災で被災した子どもたちとのキャンプ活動などにも取り組む。