小金井市教育長 大熊雅士さん『差別という呪いから解き放たれるために(中編)子どもの心をひらくには自分が変わらなければ』

 

公立小学校教諭から区・市・東京都の指導主事を経て、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授などを歴任後、現在小金井市の教育長をされている大熊雅士さん。そんな大熊先生に現在の学校における特別支援のあり方、課題、そして一番変えなければいけないところはどこか、お伺いしました。前編は先生が不登校の問題に取り組まれるようになったきっかけ、そこで直面した問題、その原因についてお話しいただきました。今回は、立ち上げた不登校の子のための学校ブレイブで具体的にどのような問題がおきたのか、そうしたときに先生は何をされたのか、教育の現場で何を大事に思っているのかについてお話しを伺っていきます。

 

 

ーー前編で先生は、不登校の子たちと向き合うということは、自分のそれまでの生き方を否定されるような経験でもあり、それを自覚し克服していかなければならないと仰りました。もうすこし詳しく教えていただけますか?

 

僕の場合、不登校の子どもたちと共に朝から晩まで一緒に暮らす時に起こる出来事は、これまでの自分自身の見方や感じ方では理解できないことばかりでした。ことごとく「なんでそんなことを気にするのか」「なんでそれしか言えないのか」「なんでそんなことで諦めてしまうのか」とにかく「なんで?」の連続でした。

多少なりともこれまで多くの子どもたちと関わってきて、それまでの「自分ものさし」も、それなりに成果を上げることができたと思ってた僕でしたから、この現実にぶつかり、積み上げてきたこれまでの自信が音を立てて崩れていきました。

そんな時、ふと気がついたのです。自分自身の目の前には、自分には理解できない、これまでの「自分ものさし」では測ることが子どもが存在している。それが事実である。ということです。それはとりもなおさず、僕自身の見方に偏りがあるのではないか。無意識のうちに出来上がった潜在的な価値観によって、判断を繰り返しているのではないか。まさにそれは「呪い」ではないかと思えたのです。

僕はまず初めにそのような「呪い」にかかっているいてはだめだ、何とかそれを抑え込んで、子どもと活動を共にすることが大切だと考えたのです。しかしながら、子どもたちとは心を打ち明けて関わることはできませんでした。

そんな12月のある日、事件が起こるのです。子どもたちは、クリスマス会として、それまで練習した歌を保護者に披露することにしたのです。午前中は子どもたちは飾り付けをしていました。それが、なかなかはかどらず、イライラしていました。「なんでこんなにのんびりやっているんだ、一回くらい歌の練習したほうがいいだろう。」と思っていました。それでもなんとか午後2時頃に出来上がりました。それで僕は、近所のセブンイレブンでおでんをたくさん買ってきました。僕は、イライラする気持ちを抑えて、「おでんでも食べて、元気をつけて、精一杯歌ってくれ」と言いながら、おでんを差し出しました。しかし帰ってきた言葉は、
「僕、いりません。」
流石にその時は頭にきて、
「食べなくてもいいけど、せっかく買ってきたのだから、ありがとうくらい言えよ。それが普通だよ。」
と言ったのです。
それを聞いた彼は、
「どうせ僕は普通じゃないですよ」
といって、外に飛び出していってしまったのです。これから保護者が来るのにです。僕は、保護者に事情を説明し、彼の捜索に出かけました。見つかったのは夜の10時過ぎ、近くの公園のベンチに座っていました。

 

 

この事件をきっかけに、僕は「呪い」は、抑え込んではいけない。ストレスを蓄積するだけだ。と思うようになりました。自分自身の中にストレスを溜めない関わりはどうしたらよいか?そこでたどり着いた結論は、「呪い」は抑え込むのではなく、自分自身の中に「呪い」があることを自覚し、受け入れることにしました。目の前の子どもたちと共に生活するためには、子どもを変えるのではなく、自分の価値観を変えていかなければならないと思えたのです。

そのため、自分がかかっている「呪い」を自覚するために、もう一度ブレイブに来ている子たちとの関わり方を見直すことにしました。特に「なんでだよ」「えー!どうしてそうするの」「ちょっとまってくれよ!」という僕自身の反応に着目し、自分自身は無意識のうちにどのように反応しているのかを分析することにしたのです。つまり、思わず行動してしまう背後にある言葉、そして、思わず口から飛び出してしまう言葉の背後にある思いに着目することにしたのです。そして、そこにある自分ものさし(潜在的価値観)を明らかにすることによって、自分にかかっている「呪い」が見えてくるのではないかと思えたのです。いつの間にか、これができない限り、決して不登校の子たちに寄り添うことはできないと思えるようになりました。でも、「呪い」を解くのは感情の問題なので、とても大変でした。僕は同じような失敗を何度も繰り返すことになるのです。

 

ーー不登校の子どもに限らず、他の場面で「呪い」を感じることはありますか?

 

このように「自分ものさし」に偏りがあることに気がつくと、世の中には、自分で意識しないで行動を決定してしまうことはよくある事だと思うようになりました。その中でも一番大きな問題が「ジェンダー」だと思います。「女の子の呪い」と言ってもよいと思います。具体的には、女の人がトラックを運転していると「大丈夫かなあ」と思ってしまうとか。「女の子はおしとやかにしていないといけない」などです。また、「女の子は理科は苦手」、「論理的なことの男の子の方が得意で、女の子は方が感情が豊か」であるとか、キャンプでは、「薪を拾ってくるのは男で、料理を作るのは女の仕事」等もそうではないでしょうか。
特に、学問的な「呪い」は、日本独特のもので、日本の研究者の女性の割合は世界の先進諸国中最下位ですよね。他国では女性も研究者として沢山の方々活躍されています。

もう一つ日本にはさらに大きな呪いがあると気が付きました。それは、部落差別問題です。これまであまり人には話をしていないのですが、僕が教員を目指すきっかけでもあるので聞いてください。僕は下町、荒川の生まれなんです。荒川には今でも都電が走っています。その都電は、荒川が氾濫した時にできた自然堤防の上に走っているのです。よって、都電が走っているところ(電車道と言っていました)より川に近い土地はよく浸水するのです。しかし、電車道周辺は浸水しません。僕の家は都電のすぐ脇の外側にあったので、浸水することはなかったのです。幼い自分は、水が出れば喜んでその中に入って遊んでいて、こっぴどく叱られていました。よく考えてみれば、畑や肥溜めもあった頃ですから、とんでもないところで遊んでいたことになります。

そんな幼い僕に、普段は優しいおばあちゃんなのですが、「電車道の向こう子と遊んではダメ」と厳しく言うのです。理由は話してくれませんでした。実はその地域に同じクラスの親友が住んでいました。僕はいつも隠れて遊びに行っていました。

このことを理解できるようになったのは、中学での歴史の授業でした。この様な差別は江戸時代につくられた身分制度からきていることを知りました。今思い出すと、親友の家は皮のなめし工場でした。「なんてひどいことを僕に強制していたのか」と、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。正しい知識によって、このような差別を世の中からなくさなくてはならない。これが、教師を目指す大きな動機となったのです。

しかし、実際に教員になりこの人間によって作られた差別のことを教えることを通して、「意識して差別しない」ことはできても、体の中にある違和感のようなものをすべて払しょくすることは難しいことであることに気が付きました。僕はこれもまさに「呪い」なのではないかと思ったのです。

このことは、障がいがある人への差別にも言えることなのではないでしょうか?「差別していけないことは理解できる」しかし、心の中にある違和感を払拭することは難しい。この二つの差別に共通していることは、「自分ものさし」から湧き起こってくる感情をコントロールすることは本当に難しいということです。単に抑え込むのであれば、ストレスを溜めてしまうことになりかねません。大変難しいことですが、これからの教育はこのことを解決する方向でとりくまなければならないと思っています。湧き上がった感情を、しっかりと受け止め、どのように行動したらよいかしっかり判断できるようになるためには、どのような教育が必要かをしっかり取り組むことです。

 

荒川線1975年当時(都電100周年記念より)

 

次回につづく)最終回は、重い障がいを持つ子どもたちも含めたすべての子が共に学ぶインクルーシブの問題について、不登校の問題にずっと携わられてきた大熊先生から「存在受容」の観点でお話しいただきます。

 

インタビュー:2021.11.18

 

 

プロフィール:

大熊 雅士(おおくま まさし)

小金井市教育委員会教育長
公立小学校教諭から区・市の指導主事を経験し、東京都教職員センター統括指導主事になる。その後、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授、カウンセリング研修センター学舎ブレイブ室長を経て、2018年4月より現職。また東日本大震災で被災した子どもたちとのキャンプ活動などにも取り組む。