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弁理士として特許事務所の共同経営をしていた橋場満枝さん。そんな中、次男であるRAY(玲)君は3歳のときに広汎性発達障がいの診断を受けました。広汎性発達障がいとは対人関係の困難、パターン化した行動や強いこだわりの症状がみられる障害の総称です。5歳年上のお兄ちゃんは手がかからないように見えていたのに対し、RAY君は2歳のころ、保育園の園長先生から療育を勧められます。橋場さんは「RAYに合った環境を整えたい」「RAYの考えていることが知りたい」という強い想いを持ちながら、多様な活動や関係性の構築に努めてきました。今、21歳になったRAY君ですが、心に浮かんだイメージを確固たる構成によって絵にすることができ、その力強い絵は展覧会で発表されるほか、Tシャツやエコバックのデザインになって多くの人に届けられています。RAY君はどのように育ってきたのでしょうか。橋場さんはどのようにRAY君を支えてきたのでしょうか。お話しを伺いました。(橋場さんはFOXプロジェクトのコアメンバーにもなってくださっています)
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シュタイナー教育との出会い
もともとRAYの兄の子育てをどうしようかなと思っていたんです。子育ては、自分が育てられたことしかわからない、はじめての経験なので・・・。当時はインターネットもなく、図書館で育児の本を調べるくらいしかなかったのですが、らでぃっしゅぼーやという食材宅配サービスを頼んでいて、そのお知らせの中で、シュタイナー教育のことを見つけたんです。私自身、世田谷の自然の中、原っぱで遊び、放任主義の中で育ちました。小学校に上がる前までは絵も好きでしたので、教育を感情や意思に働きかける総合芸術と捉え、こどもの感覚や体験を大事にするシュタイナー教育には感じるものがありました。そこで、兄が小1のときに、近所で開催されていたシュタイナーのにじみ画のクラスに行かせてみたんです。その後、自分もシュタイナーの学びの講座に参加し、北海道のひびきの村のサマースクールに出会い、サマースクールにRAYの誕生後に家族で参加したりもしました。そんななかで、RAYは、3歳からユニークな絵を描き始めました。幼少期、集中すると色鉛筆を持ち、何時間も描くようになりました。
(RAY 2008 道路と建物 8歳のとき)
たいへんだけど・・トンネルを抜けて
RAYは、2000年の暑い夏の日、元気に生まれたのですが、生後半年で、先天性胆道拡張症の手術を受けました。経過は順調でした。1歳から保育ママさん、その後、保育園に入園しました。しかし2歳から園長先生のすすめで、地元の福祉センターの療育に通い始めることになりました。3歳のとき、成育医療センターの宮尾先生に見て頂き、広汎性発達障害と診断されました。絵を描き始めたのもこのころです。
小学校は、通学時間1時間かかる支援級に入学しました。療育時代のお友達が多いことと評判の良い学校だったためです。しかし、学校の運動会や文化祭などの行事に弱く、小学校入学後、運動会の練習を機に、もともと偏食だったのですが、拒食症となり、絵も全く描けなくなりました(絵が描けること、食事がとれることは、RAYにとって、精神状態が安定しているかどうかのバロメータです)。
そこで、近所の支援級に2年生のとき転校し、小学校3年生頃、体調が落ち着いてきました。このころ、1週間がかりで、セロテープをこよりのように丸めて、広告用紙に貼り付けて制作したセロテープアートのような大作も生まれました。この作品は、区の展覧会で、産経新聞にも、紹介されたんです。しかし、小学校5年生のとき、担任の先生ががらっと変わり、情緒不安定となり、つば吐き、おもらしなどの二次障がいが出始めました。担任、校長とも面談を繰り返しましたが、対応が改善しないため、小学校6年生から特別支援学校に転校しました。
中学校に入った頃は、安定してきて、また絵も描くことが出来るようになりました。特別支援学校の最初の夏祭りでは、RAYのキリンの絵が公募Tシャツで選ばれました。しかし、中3以降、思春期による心身の変化もあり、担任が変わり、運動会の練習が始まったころから、自傷、破服などのいわゆる行動障がいと言われる症状が出てきました。乗用車拒否もこのころからです。
15歳から18歳ごろは暗黒だったと言っても過言ではありません。特別支援高校に入っても、階段に昇れず教室に行けない、道路に座り込んでしまい動けない、全身の自傷や破服など、精神的に不安定は続きました。学校に行けない日も時々あり、近所の障害児のための学童(わんぱくクラブ育成会)で過ごすことも増えました。
そこで、RAY本人にとって好きなことが出来る場所を作ってあげたいと、高2の時、仲間と共に、世田谷アールブリュットネットワークという団体を作って、RAYが絵を描ける場所としてのアート活動を始めました。並行して、アートをブランディングするための団体NPOわとわの活動も始めました。わとわのメンバーのお店、三宿の子供服キラクニの受注会で、RAYの動物Tシャツを販売して頂いたんです。RAYが17歳のときには、初の個展を開くこともできました。しかし、高校3年生のとき、就職活動が忙しくなり、作業所の見学、実習が続き、絵は全く描けなくなりました。
でも、高校を卒業し、生活介護の通所施設に通い始めて、落ち着いた生活リズムの中で、少しこだわりもありますが、表情もにこやかになり安定してきました。自宅では絵は描かなくなりましたが、アートワークショップやカフェなどにスケッチブックと図鑑などと画材持参で行くと、絵を描くようになりました。
関わってくれるひとたちと密につながる
自閉傾向のある広汎性発達障がいの子育てを通して思うのは、RAYが精神的に安定していないと、親子共々、何も出来ないということです。だから、学校、学童、精神科、ヘルパーとの連携した対応を心掛けてきました。困った時はすぐに先生に相談する、というスタンスです。保育園だけでなく、小学校でも連絡帳を書いていて、必要に応じて面談などのコミュニケーションをとっていました。たとえば、「家で泣いていること、ご飯を食べないことがあるんですが、学校ではどうですか?」等ときいていました。無理しないようにとお願いしたり。RAYは、運動会や学芸会の練習が苦手だったようで、それを機に給食を食べない、おもらしがはじまるなど、集団行動が苦手なようで配慮してもらっていました。学芸会は参加しないくらいでもよいと思っていて、RAYの心理的安定が大事だったので、かなり密に、まめに連絡するようにしていました。
(支援級小学1年生のときの先生とのやりとりのノート。食事について)
ただ、先生によって随分考え方や経験は違います。すごく受容度が高く、支援級のベテランの先生がどっしり構えてくださったお陰でおもらしも止まり、食事もとれるようになったこともありました。一方で、5年生で新しい先生に代わった時、集団行動で枠にはめるという方針の先生だったので、わかりやすく、つばはき、泣きやすい、座りこむなどの行動がでてきました。先生といくら話し合ってもらちがあかなくて、6年生のときに支援学校に転校するようなこともありました。でも、そうであっても、先生との対話はとても大事なことだと思っています。社会人になった今でも、作業所の方に、朝送りに行った際に立ち話で気になることをお話するようにしています。
地域のリソースも活用しています。小学校から社会人までの障がいのある方が通っているわんぱくクラブ育成会にはとてもお世話になっています。社会人になった今でも、週1回通っています。月に1回は、世田谷アートブリュットネットワークの絵画教室に行っていますが、そこに行くとやる気が出ます。また、学習塾寺子屋いづみにも週1回通っています。以前、「のっぽのきりん」という大学生のインカレサークルがあり、支援級の子どもたちと遊んでくれて、とても良い経験をしました。
また、夫とも連携してきました。もともと夫の方が子どもをもつ願望が強かったんです。私は仕事もあるし、産んだら協力してね、というふうに話していました。なので、保育園の送迎・父母会などは、できるかぎりは協力してくれましたし、上述のように、小学校の時、RAYが体調やストレスなどが原因で2回転校したときは、面談時は夫も一緒に行ってくれたので、家族として真剣に考えているということをアピールすることができました。
(最近のRAY君は仏像の絵を描き続けています)
適応させるのではなく、本人に合った環境を整える
シュタイナーは元々環境を大事にする教育で、刺激の強い色や音は内容を選んで使うなどがあり、環境がこどもに及ぼす影響は大きい、環境を整える、ということが私自身の考えのベースにもあります。先生によってRAYの不安定さが変わる、つまりこれは環境だな、と実感したので…。
教え込む、直す、こだわりをなくす、などは極力しないようにしてきました。逆に本人の好きなこと(アート活動)が出来る環境を作る環境を整えました。もちろん、困ったこだわり、たとえば人に触る等迷惑をかけるものは直さねばならないと思うし、ずっと同じ場所にいるなどは直そうとしました。でも、洋服や食べ物のこだわりは、許容範囲の中で、周りの理解を求めながら、RAYが不快にならないようにしていました。学校側の要求と本人の体調や精神的な負担のバランスが取れないときなどは、転校や学校を休ませるなどの判断を思い切ってしてきました。
甘やかしとのバランスも難しいですが、RAYの不安定さにどれくらいつながるかを見極めながら決めていきました。自分達が何を一緒に大切にしたいかを見極めてアプローチすることで行動が明らかに変わります。RAYは小さい頃から絵を描いてきて、絵を描けないときは、心の暗闇、かなしい、表現がうまくできない、ということだと察してきました。RAYの情緒安定をずっと考えてきました。
この考え方は夫も同じです。RAYのことについては、唯一価値観が一致しています笑。他のことでは随分価値観が違うことがありますが、子育て、特にRAYを大事にする、というスタンスは一緒なのがありがたいです。いざというときは一緒に戦ってくれるので。
RAYが何を考えているのかを知りたい
この20年を振り返ると、子どもに育てられた、という感じがします。兄の時も含め26年間、価値観が変わりました。子どもを産むまでは自分のことしか考えなかったのが、ワークライフバランス、仕事と育児のバランスに、ずっと悩み続けたこの20数年間でした。子どもがいたためにこれができなかった、と思うととても残念に感じますが、子どものおかげで仕事以外の分野に踏み出すことができました。また、障がいのある子を育てる上で、他のお母さんとの情報交換は、とても心理的な安心感に繋がりました。
子どもを産むまでは自分の仕事のキャリアしか考えておらず、とてもエゴが強かったのですが、子どもの成長に寄り添い、拒食症などの健康面、不安定になりがちな精神面をケアしているうちに、RAYが成長している姿や、楽しくアートに取り組める姿を通して自分のやりたいことができているというように考えが切り替わっていったのです。福祉の世界や障がい児教育については知らなかったですが、一から勉強し、こういうふうに療育をするんだな、と世界が広がりました。自分だけのキャリアアップとは比べようのないくらいです。
そして、育児をしながら、私は、RAYが何を考えているのか、ずっと知りたいと思っていました。RAYは、簡単な単語を発することはできますが、文として意思を伝えることはできないように見えました。そんな時、RAYが中学生の時に、國學院の柴田保之先生に出会い、指筆談というコミュニケーション方法があることを知りました。「指筆談」は、介助付きコミュニケーションとも言われ、介助者が当事者の指や手を支えて動きから言葉を読み取ります。2018年、はじめてRAYの内面の言葉がつむぎだされる瞬間。涙がでました。RAYは「考えを持っているけれど表現できないだけ」ということを信じられたのです(上の絵に添えられた文章は指筆談で読み取られたものです)。
ただ、「介助付きコミュニケーション」はその実証が難しく、さまざまな意見があるのも事実です。実は、私も指筆談を練習したのですが、障がい特性のため、RAYは人に触られるのがあまり好きでなく、私の想いが強すぎるせいもあるのか、指筆談は習得出来ませんでした。指筆談は、通訳が障がいのある人の手を支えて文字を書く動きを読み取ります。「手を支える」という行為のため、客観性という点で、一般に受け入れられない状況です。でも、RAYが指筆談を知ってから精神的に落ち着いてきたのは事実です。
私は、大学時代、機械工学科の人間工学の研究室で、ヴァイオリンを弾くときの腕の動きを3次元的に計測する研究をしていました。卒業後はエンジニアとして、ロボットの開発、その後、弁理士として、特許技術の調査の仕事もしていました。このため、指筆談の客観性を証明することができないか、既存の意思伝達装置についても調べています。現時点では人間の通訳と同レベルでの読み取りは難しいことがわかっています。でも、RAYが何を考えているのか知りたい。私の経験も生かして、こうした領域も含めて何か貢献できることはないかと願っています。
インタビュー:室・福田 2022.3.11.
プロフィール:
橋場 満枝(はしば みつえ)
Ray Art
広汎性発達障がいの息子RAYの絵の創作の場として、世田谷アール・ブリュットネットワークの代表。
また、RAYが通う学習塾寺子屋に通う個性豊かな子どもたちの作品をブランディングするテラコヤカラーズの運営メンバー。
元弁理士として、著作権の観点から、障がいのある人たちの作品の知的財産権保護にも配慮したいと思っています。
障がいのある人たちのコミュニケーション手段としての指筆談を、國學院大学柴田保之教授主催の「きんこんの会」で勉強中。
大学では機械工学科人間工学の研究室に在籍、電気会社でSEとしてロボットのシステム設計にも携わった経験から、意思伝達装置によるコミュニケーション方法に関心を持っています。
アール・ブリュットネットワーク
HP:https://sab550829177.wordpress.com/
Instagram:https://www.instagram.com/sab_setagaya_art_brut/
RAYの世界
HP:ray-art.info/
Instagram:https://www.instagram.com/ray_mitsue_art/
テラコヤカラーズ
HP:terakoyacolors.wordpress.com
ONLINE SHOP:toscolors.thebase.in/
参考:こたえのない学校で、橋場さんを講師としてお招きして小学生向けのプログラムを実施した際のプログラム報告とインタビューは、下記よりご覧いただけます。
プログラム報告
https://kotaenonai.org/blog/report/981/
橋場さんインタビュー
https://kotaenonai.org/blog/stafflog/921/