以前、医療的ケアが必要な11歳の双子の重症心身障がい児の母、坪内博美さんにインタビューさせていただきました(https://www.foxpj.org/interview/479/)。双子のお子さんは生まれた時から寝たきりの状態で、お二人それぞれの症状や障がいの度合いも異なり、日々変わる状態に対する丁寧なケアが求められる毎日を10数年積み重ねながらも、コミュニティの運営や有識者の方々とのネットワーキングを通じて、積極的にインクルーシブ活動に取り組まれている様子が印象的でした。今回は、6歳上で現在高校生の長女、彩乃さんにインタビューし、障がいをもつ双子の兄弟ゆうちゃん・まあちゃんと共に接してきた彩乃さんはどのような価値観を育んでいったのか、聞かせてもらいました。障がいについてお話を聞く際には、保護者の目線でお聞きすることが多くなりがちですが、家族を構成する「きょうだい」も実はとても大きな存在であり、きょうだいだったからこそ感じたことをじっくりお聞きしました。
「私は私、弟は弟」という方針の中で育って
ーー彩乃さんは、双子の弟とどのように関わり合いながら過ごしてきたんですか?
お母さんが、「彩乃には、自分がしたいことをして欲しい」と言っていました。なので、お留守番のときにみるくらいでした。二人の世話は基本的にお母さんがやっています。痰の吸引などは機会のある時におもしろくてやってみたりしたくらいで…。
ーーお母さんのそのような方針があったんですね。大変に感じるようなことはなかったですか?
負担に思う時はなかったけれど、旅行の時に、私の不満というよりも、「お母さん、せっかくの旅行なのに楽しめているのかな?」と感じることはありました。小学生のときに家族で旅行に行ったときのことですが、特にまあちゃんの方がケアがかなり必要で、二人一緒には連れていけず、一人だけ連れていくことになりました。でも、旅行中はお母さんがまあちゃんをバギーに乗せて回っているだけ、というような感じで、一緒にアスレチックに行ったりはできないので、私とお父さんお母さんの3人が揃って何かすることはできなかったかもしれないです。
お母さんしかまあちゃんの対応ができなくて、特にまあちゃんの症状が重たくなってからは、そういう状況でした。おばあちゃんも、鼻にエアウェイ(経鼻エアウェイ:咽頭下部に気道を確保するために使用する筒状の医療器具)を通したり、胃ろう(手術で腹部に小さな穴を開け、チューブを通し、直接胃に栄養を注入する医療措置)をしたりするような対応は、怖くてできなくて。そうなると、まあちゃんを連れていくことになるけれど、お母さんは対応に追われます……
ーーお母さんに直接声をかけたりもしましたか??
「まあちゃんを連れてこないで」と言ったことはあります。お母さんが楽しめなくなってしまうから。でも真面目に話し合うと、「まあちゃんも連れて行かないとかわいそうでしょう」とお母さんが言って、私が「まあね」と返して終わる感じでした。
ただ、ゆうちゃんまあちゃんへの不満を抱くことはなかったです。「彩乃は彩乃、ゆうちゃんまあちゃんはゆうちゃんまあちゃん」とお母さんが育ててくれたことが大きいと思います。ほぼ一人っ子のような感覚で、学校でも考えることはなかったし、学校の後も普通に遊びに行ったりしていました。
ーー落ち込んだりすることもあまりなかったですか?
入院して、お母さんも付き添いをしていたときはさみしいなと思ったこともあったけれど、おばあちゃんも一緒に住んでいたので、そこまででもなかったです。中学生の時に、まあちゃんが長期入院した事があり、友達に「弟が入院しちゃって…」と話したら、その子の親がバドミントンクラブの送迎の分担をやってくれたり、お泊りさせてくれたりしました。お父さんは平日は単身赴任で帰ってこないので、平日や、おばあちゃんおじいちゃんが旅行でいないときは、私のためにお父さんがたった一泊のために帰ってきてくれることもありました。なので、あまり落ち込むことはなかったです。落ち込むことと言えば、家族のことは関係なく、例えば高校に入ってから部活がうまくいかなくて落ち込む、といったことでした。
ーー周りの人とのあたたかい関係があったのですね。
そうですね。お父さんが私を数時間一人にしないためだけに、はるばる富山から福井まで帰ってきてくれることにとても驚いたことをよく覚えています。「え?富山にいるのに、昼から翌朝までの時間のためだけに福井まで帰ってくるの?!」って……
ーーうれしかったことはありますか?
ゆうちゃんまあちゃんに話しかけて、受け答えかははっきりわからないけれど、声をだしてくれたりしたことはうれしかった思い出です。ゆうちゃんまあちゃんは普段笑うことはなかったのに、こちょこちょすると必ず二人とも声を上げて笑っていて、それがうれしくておばあちゃんとずっとやっていたこともありました。小学生のときかな。
地元の小中学校と高校で違った、兄弟への友達の反応
ーー価値観や感覚は小さい頃から変わらないですか?もしくは途中で変わったり、転機などがあったりしましたか?
小学校4年生のときに書いた、弟たちに向けた作文があって、それからあまり変わっていないと思います。健康な子、障がい児、ではなくて、私にとってはただの弟。でも、普通の兄弟だったら、兄弟げんかは当たり前だと思うのですが、ゆうちゃんまあちゃんとはそれができないので、「兄弟げんか」ができることがうらやましいということはあるけれど、障がいをもっているから優しくするわけでもなく、ほっぺたをたたいたりもしていたし、特別にしている感じはないですね。
小学校・中学校のときは、仲のいい子は、障がいを持つ弟がいることをみんな知っている状態でした。小学校のときには、弟たちを「見てみたい」と家まで会いに来る子もいたけど、聞かれることも嫌じゃないし、歩けない・ご飯を食べられないといったことも話すことは嫌ではなかったです。同じ学校に、もう少し軽い障がいの妹をもっている子がいたのですが、その子は自分の妹のことは聞かれたくない、存在を知られたくないという感じでした。自分は普通に弟がいる子と同じ感覚だったので、そのことを中学校の人権集会で書いたら、選ばれて発表したりすることもありました。
高校は、弟たちのことを知っている子が全くいない環境で、「弟はどこの学校?」と聞かれたときに、「うちの弟、障がいをもっているから普通の学校ではないの」と私が答えると、「聞いてごめんね」と友達に言われて……小さい頃から触れているとそうはならないけれど、そうでない場合は申し訳ないって思われるのだと、高校に行って感じました。
軽井沢キッズケアラボを通じて広がった世界
ーー軽井沢キッズケアラボ(福井市で日常的に医療的ケアが必要な子ども達とその家族と一緒に誰もが安心して暮らせるまちづくりを目指して活動をしている団体、一般社団法人Orange Kids’ Care Lab.※が、2015年から始めた取り組み。重い障がいや病気によって、家族で外出や旅行をするのが難しい医療的ケアが必要な子ども達や家族に対して提供するリゾート)に参加したと聞きましたが、印象に残っていることはありますか?
※一般社団法人Orange Kids’ Care Lab. https://carelab.jp/
小学校の時は、ほとんどお客さん状態で、楽しんでいました。私達が住んでいる福井とは別の地域から参加している子とか、ボランティアの大学生がすごく多かったです。大学4年生や、医学部の大学生が来ていて、今の医療や社会に対して「これはだめなんじゃ?」と疑問や懸念を持っている様子で、軽井沢に行った後に大学を辞めたり、学部を変えたり、起業したり、Orange Kids’ Care Lab.に入社したり……本当に色んな方と出会えました。
ーー県外の人やそういう大学生に会うことってなかなかないですよね。
福井の人もいましたが、金沢の大学、筑波大学のボランティアの人もいて、一緒の場所に泊まっていたので、話したり一緒に過ごしたりしていました。千葉の大学生もいました。こういう機会がなかったら、高校生になるまで、私は大学生と出会うこともなかったと思います。年の近い友達ができて、一人で新幹線に乗ってその子に会いに行ったりもしました。
ーー年齢とかあまり関係なく連絡をとり合ったり、深い話をしたりする関係になったのですか?
私が小学校のときは、お母さんやお父さんと一緒に軽井沢キッズケアラボに行って、ゆうちゃんまあちゃんはスタッフさんと参加者のために企画されたイベントの方に遊びに行って、私はお父さんと出かけたりしていました。中学生のときは、大人で障がいを持った人と川で遊んだり。お父さんも毎年来ていました。
毎日振り返りがあり、全員輪になって一言ずつ話すんです。私もお父さんもお母さんに呼ばれて、一緒にその振り返りに参加して。先生や大学生も意見交換みたいなことをしていて、私はその様子をずっと見ていました。
「自分から見たら皆同じ人間」という根幹の感覚。身近なお母さんも、兄弟も、そのずっと先にいる海外の人も。
ーー軽井沢キッズケアラボの経験も含め、色々な人に会ってきたと思いますが、彩乃さんが特に影響を受けた人はどのような人ですか?
やっぱりお母さんですね…。他のお母さんとは違うと感じます。日常茶飯事で社会問題についての話をしています。今はSDGsが流行っていますが、私が中学校のときからすでにお母さんはそういうことを話していました。車で送ってくれるときも、そういう話しかしないのです。お母さんが話しかけてくることに私が答えていると、お母さんがそれをSNSに出したりして、自然に発信されていたりして……
ーー博美さん(お母さん)のオープンさと巻き込み力は、Foxプロジェクトのミーティングで話す中でも感じます。
学校の保護者面談でも、社会のことはお母さんから学べていいね、と色々な先生に言われます。学校の保護者面談のときも家族の話になるんです。そうすると、お母さんが暴走して話して、先生が話せなくて終わり、お母さんは「楽しかったー」と言って帰ってくる、というようなことも……笑。なので、先生も私の勉強面以外の家庭のこととか、ゆうちゃんまあちゃんのことを自然に知っていきました。だいたいいつも、「双子の重症児がいるんで」とお母さんは話しているので。
ーーお母さんは特別だな、他のお母さんと違うな、と思うことはありますか?
他のお母さんと比較してとか、そういう感覚はわからないです。でも、話が長いこととかケンカはあるけれど、色々考えさせてくれることで、進路にも影響しています。今行きたい大学は、社会問題などに関することなので、お母さんがそういうことを教えてくれたからなのかな……と思います。
お母さんがいつも言っていたのは「人脈が大事」ということで、このことには感謝しています。友達や先生には恵まれたなと思います。先生もとてもよい先生だったし、友達も小5の時に三重から転校してきた子がいて、その子のおかげで一気に変わりました。性格面も、運動面も。
でもやっぱり、私からしたら「普通のお母さん」です。「愛情表現をちゃんとしてくれてるし、いいお母さんだね」、と友達からいつも言われるので、そうなのかなと思います。
ーーこれからやりたいことはありますか?
興味があるのは、政策創造学や人間環境学です。軽井沢で会った大学生にZoomで話を聞いた時に、人間科学部などだと、1つの分野だけでなく、2年生や3年生で専攻を決めるから幅広く学べるよと聞いて…。政策だと、SDGsもですし、世界のことも扱いますよね。たとえば難民問題は、難民申請ができなくて入国管理局に入れられてしまうことがあり、同じ人間なのにそういう扱いを受けるのはどうかなと思っています。その背景には色々なことが関わっているのだと思うので、幅広く学んでいきたいと考えています。
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「同じ人間じゃん」という価値観が根幹にある彩乃さん。身近な兄弟やお母さんも、そのずっと先にいる海外で困っている人も…。このような価値観が育まれた背景には、ゆうちゃんまあちゃんという障がいをもつ兄弟に対する周りの人々の反応の差異であったり、軽井沢キッズケアラボで出会った大学生や大人達との会話であったり、日々お母さんから聞く社会の現状や様々な課題に対して考えていること等々が影響しているのではないかと感じました。Foxプロジェクトのスタッフ内のやりとりでも、彩乃さんの言葉や視点に触れることが少なからずあるのですが、「分けない」ということが大前提となっている彩乃さんならではの感覚や感性に、私たちもハッとすることが多いです。
また、兄弟に障がいがありケアが必要な状況である中、お父さんも単身赴任という状況は、なかなか大変な状況かと察しましたが、”彩乃さんには彩乃さんの人生を歩んでほしい”というご家族のブレない方針が彩乃さんの成長をよい方向へと導き、結果として彩乃さん自身が今後社会に貢献していくような進路を検討している様子は、とても素敵だと思いました。
たくさんの方々との出会いに恵まれた彩乃さんが、これからどういう道を歩んでいくのか、とても楽しみです。
インタビュー 福田・室 2022.3.31.