(前編の続き)
障がい児がいても旅をしたい
ーー笑顔って連鎖しますよね。化学反応とおっしゃってましたけど、印象的な化学反応はありますか?
私は旅が好きなんです。旅行に行けなくなる、外に出るのが大変になるのがすごいショックで…。
ちょうど双子たちが生まれた時に出会った在宅ドクターに、「家族旅行も行けないし…」とぼやいてたら、「いや行きましょうよ」と言われたんです。
その時はすごく驚いたんですけど、ドクターが中心になって企画してくれて、海に行けたんです!
海に行けたし、今度は遠方にも行けるよと「軽井沢キッズケアラボ」というプロジェクトを立ち上げてくれたんです。
私はもうこの子たちを連れて旅行なんて無理と思っていたのに、そこですごいワクワクしたのを覚えています。軽井沢キッズケアラボには5年間、全部参加させてもらいました。
ーー軽井沢キッズケアラボではどんなことしていたのですか?
親なしでスタッフが子どもたちを連れていってくれたり、途中で合流したり、スタッフとして参加をしたりしました。
娘にアウトレットに行きたい、ペンションに泊まりたいという要望があったので、ゆうすけとまさきはスタッフにお任せして、私と夫と娘だけの時間をつくることもできました。娘
も最後の2年間は彼女だけでプロジェクトに参加したんですよ。
ーー兄弟も一緒に参加できるプログラム?
兄弟の募集はありませんでしたが、娘も参加したいと言ったら受け入れてくれました。娘に聞いたら「お母さんと一緒に行くのはイヤだから、私が一人で行く」と言われて(笑)
娘が一人で参加して、そこでつながった同い年の子は福井にも遊びに来てくれました。いまでも軽井沢で出会った大学生のお兄さん、お姉さんのことはよく覚えていて、楽しそうに思い出話をしてくれます。彼女にとって印象深かったんですね。
ーーちょっと年上の人達との関わりはすごい影響がありますよね。
そういうことが彼女の大事な成長期にあったからか、いろいろな人を受け入れる、多様性みたいなことは、卓越してついたのかなと思います。娘の行動を見てると、とにかく人が好きになっています。
ーーゆうすけくんとまさきくんは、軽井沢でどんなプログラムに参加したのですか?
プリンが好きだから軽井沢の高級なプリンを食べに行ってみたり、ボランティアの学生さんたちと一緒に近くにある小川にちょこんと足をつけてみたり。何気ない日常生活ですね。
地域の夏祭りにも参加させてもらったこともありました。みんなはじめましてなのに、地域の人たちが当たり前に受け入れてくれました。
障がい児を2人も連れていると、申し訳なさそうに「見ちゃった」という人も、じろーっと見てくる人もいますし、鋭い視線が刺さる時もあるんですね。軽井沢ではそういうことが全然なくて。地域性なのか、よそ者を排除しない、居ていいんだよという雰囲気がある場所でした。
ーーシンプルに「そこに居ていいんだよ」というのは、結構難しいことですよね。つい意識したりとか、意識していないという空気が出てしまったり…。
「障がいがあるからあっち、障がいがないからこっち」が嫌なんです。
特別支援学校に就学してからは特に感じます。特別支援学校では、毎日の生活を歩むステージが特別なところにしかないんですよね。支援学校の中だけの社会なんです。
障がいがあっても選びたい
障がいがあっても普通に暮らせたらいいのにと思います。障がいがあるから保育園や幼稚園はダメなんですか?というようなところからのスタートでした。いまはだいぶ変わってきましたけど、まだまだです。
ーー坪内さんにとってゆうすけ君とまさき君にとっての友だち、お姉ちゃんにとっての友だちと言った時に、思い浮かぶことは何ですか?
私はいろいろな人と出会いたいから、海外に行くのが好きなんです。友だちというのは、「友だちを作るからあなた友だちになって」というものでもなくて、自分が興味のある地域や国に行って、そこで出会った人たちと一生懸命コミュニケーションを取ろうとして、友だちができたりします。
出会えた人が友だちです。そういう意味で、ゆうすけやまさきは出会えないんです。
特別支援学校に行くと、クラスのふたりには担当教員が1人つくんです。その他のお子さんが2人、大きい広い教室に4人だけ。毎日大人の先生も固定で、同級生も4人ずっと一緒なんです。障がいが重いと小中高とメンバーがそんなに変わらないので、新しい友だちに出会わないんです。
ーーもっと出会ってほしいなと思いますか?
思います。大切にしていた年2回くらいの地域の学校との交流会もコロナ禍でやめる方向にいきかけてしまいましたが、なんとかリモートでやらせてもらいました。
子育てとつながり
ーー坪内さんが高2のお姉ちゃんと11歳の双子の子育てをしていて、一番大事にしていることは何ですか?
一人では生きていけないということです。私の人生もそうですし、ハンデっ子を2人授かったらなおさらです。昔からそうですが、人とのつながりを大切に、1日1日を思いっきり楽しんで生きることにつきます。
ーー双子を育てていて、どんなつながりが嬉しかったですか?
双子が重症心身じゃなかったらなかったつながりがたくさんできました。障がい児を産んで、もちろん悲しい面や、障がいがなかったらなと思うこともありましたけど、今はこの2人だから私の立ち位置はここなんだということに対して感謝しかないですね。
私は一人っ子なんですけど、何不自由なく両親に愛情を注いでもらって、大学も希望する県外に進学しました。大学時代に外の世界に出させてもらって好き放題して歩むことができました。
その頃が自己肯定感をぐっと養えた期間だったとしたら、そのことをリュックに栄養として蓄えて背負っての、あの子たちが生まれた12年前です。新たに自分の人生を彩り豊かに深めていくための学びを得る今なのかなと思います。
バブルの時期に何も考えずに、なんでもうまいことトントンとやって来てからのガラガラと崩れ落ちていった、そこからのスタートの方が、ひと言、「生きてる」という感じがします。
毎日ノーメイクで走っていきます(笑)。昔だったら考えられないです。お化粧も洋服もキチッとして、ハイヒールを履いて会社勤めの人生だったのに、生きるのに必死な子どもを育てる、そして生きるのに必死な親だったから、何一つ怖いものがなくなりました。周りからどう見られてるとか、そんなの全く関係がなくなりました。
わたしの夢
ーーお子さんのことを抜きにして、これから5年後、10年後の未来の中で、坪内さんはどんな風になっていきたいですか。どんな私になりたい、こんなことしてみたいということを聞かせてください。
昔からお酒、食べることが大好きです。学生の頃、お酒関係の仕事したいと思って勤めた会社が県内のお酒の卸売りの会社だったんです。そこでワインを学んでその魅力にとりつかれて、もっと学びたいなと思って独学で勉強しました。
一昨年、自分が隙間時間にどんな働き方ができるかチャレンジしたくて、ぶどう畑に足を運びながらインスタに記録を残しました。妄想ですが、ぶどう畑の中にコテージを作って、そこで集まる仲間がで飲んだり食べたりできるようなぶどう畑を作りたというのが夢です。
現実の生活と180度違う夢、かけ離れた夢です。いまは子どもを送り届けて、学校から電話がないかハラハラドキドキしながら、その間に出来ることをしている日々ですが、ぶどう畑とコテージ、やってみたいですね。
インタビュー:Y 2021.9.16
プロフィール:
坪内 博美(つぼうち ひろみ)
福井県福井市生まれ
福井商業高校、関西大学 商学部卒業後、福井にUターンして、酒・食品の小売業に就職。
その後、自動車リース会社勤務を経て、2003年に結婚、翌年長女出産。
2010年に出産した双子男児が、共に医療的ケアを必要とする重症心身障害児。
その日から、あらゆる部分で社会の枠組からはみ出している日常を、いかに愉快に楽しく過ごせるのか。。。子育てを通じて実践中!! 子供達の自立、そして、自身も『双子重症児の母』を主語にせず、1人の人間として生きることが 目標です!
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障がい児・医療的ケア児の保護者グループ『てくてく』
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一般社団法人Try Angle『医療的ケア児の旅行ガイドライン』
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2020年、オンラインによる居住地校交流会で同級生にプレゼントした『ぼくたちの1日』漫画冊子
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