特別支援学校、チャレンジスクールってどんなところ?ー教師座談会 Vol.1(前半)

 

Foxプロジェクトは「すべての子どもが 子どもたちの中で育つ世界を」をミッションに、どんなに重い障がいがあっても、全ての人が一緒に学び、一緒に生活し、自立してみんなが生きていけるような世界を目指しています。重い障がいを持つ子どもが成長していく過程では、医療、学校、行政、コミュニティなどが関わってきますが、今回特に「学校」に焦点をあててみました。重い障がいを持つ場合、特別支援学校に通うケースが多いのですが、地域の学校と連携もしますし、今後は地域の学校がもっともっと多様な子どもたちをさまざまな形で積極的に受け入れて行ったほうが、結果として幸せで豊かな社会になるのではないかと私たちは考えています。そこで、今回は特別支援学校やチャレンジスクールの経験と地域の学校のいわゆる通常級、どちらも経験がある先生にお集まりいただき、まずは特別支援というものがどういうものか教えていただきました。

 

座談会メンバー

森川大地 埼玉県立浦和高校国語科教諭
小学校、中学校、定時制高校を経て現在は埼玉県立高校で勤務。 「国語」「総合的な探究の時間」において社会につながる学び、生徒の主体的な学習を模索。 一般社団法人HALOMYで、高校生プロジェクト支援、教育現場へのコーチングの普及などに取り組む。埼玉大学大学院教育学研究科修了 グロービス経営大学院経営学研究科修了


蓑手章吾 ヒロック初等部スクールディレクター(校長)

元公立小学校教員。教員歴14年のうち杉並区済美養護学校で4年間勤務し、後半2年は重症心身障がい(重心)のクラスを担当。インクルーシブ教育や発達の系統性、乳幼児心理学に関心をもち、教師を続けながら大学院に入学、人間発達科学プログラムで修士号取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な前職前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任。


慶徳大介  3rdschool 運営

早稲田大学大学院教育学研究科を修了後、東京都の小学校教員として4年間勤務。始めの3年は新宿養護学校に勤務し、その後、小笠原の小学校で通級・肢体不自由の子がいるクラスを兼任。母親が特別支援学校の教師。「医療的ケアが必要な児童・生徒がバスで通学できるように」と取り組んだ過去もあり。


福田倫子 Fox プロジェクト ディレクター

東京大学大学院教育学研究科在学時は、現象学的理論を手がかりに幼児の遊びに関する事例研究を行う。師事していた教授が重症心身障がい児の世界の研究をしていたことや、自身が家庭教師や放課後等デイサービスのスタッフとして軽度の知的障がい児と関わったことなどから、非言語的・身体的コミュニケーションの世界の豊かさと重要性を痛感。


竹渕浩子 Fox プロジェクト コアメンバー

群馬県小学校英語専科教員。言語・ことばに興味をもち、言語学を学ぶなかで、発達障がいの子どもたちの漢字圏の言葉の習得の難しさを感じる。10年ほど前に群馬県立特別支援学校で英語を1年教える。教員の前には、商社で英国・オランダで勤務。草津町で主任児童委員としてケース会議を開催し、地域と学校の課題に気づく。特別支援2種免許を所有。


藤原さと Fox プロジェクト ファウンダー

米国在住時に地元の公立小学校で特別支援クラスを丸4日間視察し、日本とアメリカの考え方の違いに驚く。こたえのない学校主催のLearning Creator’s Labを主宰する中で、特別支援の重要性に気がつき、Foxプロジェクトを立ち上げる。長女出産時に心拍数が下がり、危険な状態になったことから、医療的ケア児や障がいの問題は極めて身近に感じている。

 

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Foxメンバー:今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございました。まずそれぞれの先生方から簡単な自己紹介をお願いしてもいいでしょうか?

 


慶徳大介さん(以下慶徳)
私は新宿養護学校で3年、その後小笠原で1年通級指導を担当しました。また肢体不自由の子がいるクラスを兼任で同時に見ていました。一方で、頼まれて通常級のクラスの授業を担当することもありました。もともと特別支援に興味をもっていたわけではないのですが、配属がたまたま特別支援になったことで、「その子が何を話そうとしているのか」「その子が何をしようとしているのか」ということを授業・生活の中では常に意識していました。

(慶徳大介さん)

 

森川大地先生(以下森川)
今、高校で国語の教員をしているのですが、その前が昼夜二部制を採択する単位制の学校でした。そこが特別支援的な子を多く受け入れており、発達障がいや困難を抱えて不登校になってしまったけど、高校でやり直したいという子がすごく多い学校でした。そこでいろいろな特別支援のやり方を学んだり、カウンセリングを学んで、非行、児童相談所、警察へのアプローチの仕方などを学んだりしました。

学校らしくない学校にいたこともあって「学校」独特のしがらみをなくしていくといろいろなものが楽になっていくのではないかな、という仮説を持っています。今の学校は進学校なので、受験というゴールに向かって辛くなる子たちもいる。そういう時にも、枠組みなどの捉え方が変わることで、その人のありかた、生き方が楽になるのではないかと感じています。

(森川大地先生)

 

蓑手章吾先生(以下蓑手)
14年間公立の小学校の教員をしていました。最初の6年は普通の学校です。東京都は2校目に支援「学級」に配属されることが多いのですが、僕の場合は支援「学校」に配属になったんです。通常、特別支援学校の管轄は普通都道府県なので、管轄が市区町村の小・中学校の教員が特別支援学校に配属になるということは稀です。ただ、東京都は2校だけ特別支援学校があって、1000分の1とか2000分の1くらいの確率でそういう配属がおきるのです。

僕は杉並区立の済美養護学校で、はじめ中2・中3と2年間担当してから小5・小6で2年、合計4年間在籍していました。小5・小6の時は、重度重複の子を2名受け持ちました。肢体不自由と知的発達として0歳から1歳という認知発達だと診断されている子たちでした。なので、しゃべれない、一人で食べられない、一人で着替えられない、排泄も難しいということだったのですが、その子たちとの関わりはとても楽しかったです。

配属された時に「今までやってきたことが全く役に立たない」と思い知り、特別支援学校の二種免許状(知的)をとって、さらに通信の大学院に進んで通常級でのインクルーシブ教育の実施をテーマに修士論文を書きました。その後小金井市に行って前原小学校というICTの活用に力を入れている学校を経て現在にいたります。僕自身は副籍交流をどちらの立場からも経験しましたが、さらに通常級におけるインクルーシブ教育に関心があります。

(蓑手章吾先生)

 

Fox福田:
Foxプロジェクトでは、医療や行政、コミュニティの壁を外していきたいという思いがあるのですが、たとえば、学校現場に関わっているなかで、医療や行政など連携などの場のエピソード、そこで感じた壁や逆にうまくいったお話などをお伺いすることはできますか?

 

慶徳:
僕の短い経験の現場の状況では、ドクターの存在がとても強かったんです。特に学校医の存在が強くて。学習云々よりも「命あっての」がすごく優先される傾向があったと記憶しています。理由はわかります。でも、実はお母さんたちは子どもたちの「危険」の感覚を微細に受け取っています。そのお母さんたちが「大丈夫」と思っているのに、それが実現できないケースがあるときは、葛藤を感じていました。

教員の役割はこうしたお母さんの感覚を吸い上げて、その子の豊かな学習経験を保証できるように環境を整えるところにあると思ってました。「危険」に囚われすぎないと、子どもたちがハッピーな学びの時間をつくれるようになったり、校外学習にいったり、一人で学ぶ時間ができていきます。でも、この連携がうまく噛み合わないと、子どもの幸せよりも安全が一方的に重視され、結果として子どものハッピーが損なわれてしまいます。

あるご家庭のは、お父さんもお母さんも「本人がどうしたいか」「本人がなにに向かっているのか」をよく分かっていました。でも、それを学校には押し付けない。お母さんは学校に来てくれるのですが、ウクレレを弾いていたり。この時間はこの子にとって、第三者である他の人と関わる時間だ。とはっきり認識されていました。その子は、入学当初ご飯もお母さんからしか食べなかったので、サポートしてくれましたが、基本的に入り込みすぎず緩やかにその場にいてくれました。それはその子にとっても、ハッピーな時間だったのではないかな、と思います。

まわりの誰かの力が強くなりすぎるのではなく、子どもが中心にいるなかで、いろいろな角度から対等な関係性の中で対話をする中で何かが生まれてくるといいなぁ、と思っています。

 

森川:
外部との連携でいうと、個人的には良かった経験が多いです。夜間定時の学校で最初に担任した子は統合失調症でした。でも、その子とずっと喋っているうちにお母さんも統合失調症だということ、しかもお母さんは病院に行けていない状況だということがわかりました。その子の中学校の先生に連絡をとったら、高校にいく段階で病院に連れていって、統合失調症の診断を受けたという経緯を教えてもらいました。そこから保健所の保健師さんに連絡をとってみたら、母親が全然病院に行っていないということがわかったんです。

そこで、保健師さんと一緒に家庭訪問をして、病院の先生も心配していたことがわかり、お母さんを病院に連れていきました。そこで、とてもよかったのは、病院の先生が診察しているときにずっと子どもも私も同席させてもらえて、どんな状況にあって、どんな対応がいいかなどオープンに教えてもらえたのです。その子は結局、学校にこれずに退学はしてしまったのですが、保健師さんと連携しながら治療を継続し、地域の若者ステーションにもちょくちょく顔を出したりしていました。

こうした情報がオープンに共有される経験をはじめにしたので、生徒指導主任をやっていたときには年度はじめに警察署に回って挨拶しました。すると「あいつこんなことしていて、こんど先生の学校にいくからなにかあったら教えてね」など、ざっくばらんに話してくれるんです。これ、行ってみないと分からなかったなぁ、と。それまでは警察なんて何も教えてくれないと勝手に思っていた。でも、警察でも病院でも保健師さんも実は困っていて、こちらが動くことで情報は共有され、適切に連携されるのだ、という実感を持ちました。

もう一つは、別の子で二次障害のケースです。お母さんが鬱か統合失調症で、小さな頃からお母さんにずっと怒られながら育ってきていました。学校に行けば行ったで「お前の母ちゃん気狂いだ」といわれていたような子がいました。でも学校のみで対処していると、話をきいてあげるくらいしかできないんです。でも特別支援学校から来た先生が、ケース会議をやってさまざまな討議の結果、お母さんに入院してもらうことになりました。それが結果として良かった。お母さんの状態が良くなると、その子の状態もよくなり、お母さんへの憎しみが和らいできました。今年もその子から年賀状が来ましたが、お母さんと仲良くやっているようです。

ただ、面倒を一旦みたら、キリがなくなってしまうという人もいます。実際に今の学校現場は、教師の6割が過労死ラインを超えるなどという報道があったとおり、ギリギリの状態です。あそこに行けばケアしてくれる、という風に話が出ると首がしまってしまう現状も理解できるので、ジレンマですね。私はどちらの意見もわかります。

 

慶徳:
わたしは医療的ケアのある児童について行政や学校と交渉した経験があります。その子の学校では、基本的に通学のバスに乗れない規定になっていました。その児童の状況に応じて通学バスに乗ることができるようにステップを検討することはあるのですが、その子の場合、(その児童の医療的な状況はあるにせよ)6年経っても通学のバスに乗ることができず、高額を払ってタクシーで登下校していました。

もちろん、1人の児童のために追加でバスを動かしたり、看護師を雇ってバスに乗せるような設計図を描くことは現実的ではありません。でも、だからこそ、今ある状況の中で「どのようにしたら、普通に学校に学びに、遊びに来るために、同じようなサポートを受けられる可能性があるか」ということを検討できたら良いのではないかと考えました。そこで分厚い資料を作り、幾度となく議論を重ねました。「学校に通う」ために、同じようにバスの乗車スケジュールに名前が入ることは、とても大切なことだと思いましたので。

この時の議論の最後はなかなか難しい結果に終わりましたが、「学びたい」「学校に行きたい」という児童が、行けるような整備もさらに進んでいくことを願っています。

後半につづく)