特別支援学校、チャレンジスクール、地域の学校の課題とは?ー教師座談会 Vol.1 (後半)

 

Fox竹渕:
私は群馬に嫁いだときに、教育の経験がないのに主任児童委員になってしまいましたが、ケース会議を積極的にひらきました。その時に思ったのは当事者の大変さと、地域の人たちの学校の先生に対する不信感でした。ケース会議は、警察、教員、保健師、学校関係者、医療者、保護者、近所の人などが集まって開催されます。コーディネーターとしての主任児童員は丁寧に関係各所を繋げる任務がありますが、機能していないように感じています。私自身この10年教員として仕事をしていて一度もケース会議に呼ばれたことがありません。この辺どんな感じですか?

 

蓑手:
ケース会議が行われることは私の周りでは稀で、自分も通常級では経験がないのですが、難しいのは今の学校現場は忙しすぎることです。すでに睡眠時間を削って働いているのに、もしケース会議になったら、業務が回らないでしょう。一方、心理士が巡回で月一回くらいで回ってきますが、あまり僕が納得できない内容を「先生はどうせ知らないでしょう」という前提で話してくることがあります。その子のためのことを思って言っているのはわかるのですが、学校における「教育」や「集団」に対しての理解があまりになさすぎます。

 

Fox竹渕:
それは本当にそうかもしれないですね・・・

 

蓑手:
これはケース会議の話とズレるかもしれませんが、この構造が続く限りはインクルーシブは絶対に訪れないのではないかと思ってしまうんです。特別な支援を要する子が現場にとって重荷になるような構造のことです。手厚いだけの「善意」(鉤括弧付きの善意)がむしろ分断を生んでいることに、みんな気づいていません。最終的には学校教員がイニシアチブを持って設計しなければ、インクルーシブは実現しないという感覚を持っています。一方で、その余裕がないというのが痛いくらいわかるのが難しいところです。

 

Fox竹渕:
そこ、すごくわかります。私もその後学校現場に入ったんですが、本当に全然理解してもらえていない。「話を聞く」という態度がスタート時点にないようにすら思ってしまいます。やっぱり学校現場を経験した人間がきちんと関わらないと、うまくいかないように思います。学校って孤立していますよね。

 

森川:
そういうことで言えば、ケース会議も全部に対してやるとなると調整だけでも現実的ではない。ただ、ヒントをいうとケース会議がうまくいった時というのはメインが特別支援学校経験者で、その人がファシリテートしていました。バランス感覚があって、最終的な落とし所を見据えながら進められる力量のある人が入ると全然違うんです。

もう一つ感じていたのは、学校はいろいろな支援NPOと繋がるべきということ。NPOはアウトリーチできなくて困っているんですが、それが一番簡単にできるのが教員なんです。連絡の取れない家庭に家庭訪問していい教員をもっとうまく活用すべきだと常々思っていました。

 

Fox福田:
Foxプロジェクトのコンセプトは「ともだち」で、「子どもたちが子どもたちの中で育つ」中で、先生が1対30ではなく、子どもたちが子どもたち同士でお互いに支え合うことが大事になってくると考えています。大人だけが頑張るのではなく、子どもたちがスッと出逢って一緒に学ぶためのヒントがあれば、聞いてみたいです。

 

蓑手:
小学校教員でいうと子どもたちと一対一で話す時間なんてほとんど作れない、休み時間や給食の時間くらい。1日の間でやりとりが一往復できない、なんていう子はざらにいます。結局僕らは学校にいる時間の9割が授業なんですね。そこで一斉授業をしてしまうと、子どもたちはつねに、教師の言うことを聞き、指示に従って動くだけ。子どもと関わり合う時間や自由すら無くなってしまいます。インクルーシブを考えた時に、そもそもの学び方を変えていくことが必要です。

 

Fox藤原:
そうですよね。今の学習指導要領ってまったく一斉授業を求めていない。だからといって、PBL(プロジェクト型学習)をたとえば総合でやったとして、さまざまな活動をする子どもたちを先生一人が引っ張るのは全くもって現実的ではない。そこで、子どもたちが、自分たちで友だち同士で解決したり、お互いに助け合ったりするようにしていかなけばならないのに、そこでクオリティが下がる(つまり統制がとれない)と心配している。たとえば、特別支援における教材開発にしても、タブレットでの簡単なプログラミングなら子どもたちのほうがよほど上手にできる。肢体不自由の子が草木にみずやりをしたい時に先生がペットボトルで自動水やり機をつくっているのを見ましたが、あれなら小学生が楽しんで作れるだろうなぁ、と。先生の気持ちは尊いと思いつつ、先生が一人で頑張ってしまっているのはもったいないです。子どもに下ろしていかないと。ただ、そこへの移行の初動の動力をつくるところが課題ですね。

 

慶徳:
これからの時代、色んな人が混ざり合っていきていくしかないという現実を分かった教育設計が必要だというときに、いわゆる学校をどうする、という話ではなく、文化ができていくといいな、と思っています。一度蓑手先生のクラスを見にいった時に思ったことなんだけど、普通にみんな片耳だけイヤフォンして、音楽をききながら、自分で学びを選択していた。本当に子どもたちが入り混じっていて、オンラインで繋いでいる子もいて。車椅子に乗ってようが、文字が書けなかろうが、そういうのが自然に入り混じってあるのがいいなぁと。教員だったとき、通常級に入る介助員の役割があまり好きではなかったんです。過保護に思えたし、その子を特別にすることで分断を生む。復籍交流もそうですが、いりまじっていることが自然にある、というのがいいなぁ、と思いました。

 

Fox藤原:
わたし、文化と「何をかっこいいと思うか」はほとんど同義だとおもっているんです。「偏差値を上げる」とか「(自分が何者かを見極めようとせずに)とにかくいい学校に行く」というのは私から見ると決してかっこいいことではないんですよね。それと同じで、「成績を上げる先生」がかっこいいのではなく、特別支援の感度のある先生がかっこいい、となっていってほしい。さらに、困った子に手を差し伸べる子がかっこいい、となることが文化を変えると思っていて。

N高のなにがすごかったかって、「通信制高校」はカッコ悪い、を「かっこいい」に変えちゃったこと。同じように、クラスで困っている子に手を差し伸べることがかっこいいという雰囲気が入っていかないかなぁ、と。やさしい子がかっこいいというのは、当たり前のことでしょう。

 

蓑手:
そういうの、すごくわかります。さっき慶徳さんが言ってくれたことと重なるんだけど、学級ってみんなおなじことを同じ姿勢で、同じペースで同じことをやる、という風になっている。だから、手を差し伸べる人が異端になってしまう。でも手を差し伸べたいという子はいるんです。それなのに、そうしたときに手を差し伸べるハードルが高すぎるのが今の教室。手を差し伸べる自由度が確保されていないんです。もしくは先生がやってくれるだろう、という変な期待。でも、自分は教室を雑木林みたいな感じにしている。生徒がちょっとでも「助けたい」と思えた時に、助けられるようにしたいと思っている。

 

Fox福田:
保育現場でも安全管理というと死角をつくらないようにしがちですが、大人の目がとどきそうで届かない、子どもたちだけでポッと繋がれるような関係性をつくる雑木林のアイディアは、魅力的です。どうされているのですか?それは教師が全てをコントロールしたい気持ちを手放すとかでしょうか。

 

蓑手:
まず、僕も含めて自分の弱みを出していきます。その上で、パッとみて「この子は度胸がありそうだな」「前に出ていける子だな」という子を率先してマイノリティにしていくんです。つまり、全員をマイノリティにするという発想です。マジョリティをつくらなければ、全員マイノリティでしょう。そしたらみんな自由になる。でも、そもそもみんなマイノリティだというのが正常ではないでしょうか。

一旦そうやって、みんなをマイノリティにした上で、「先生これやりたい!」と言ってきたらどんどん「いいじゃない!」って預けていきます。そうすると普段前に出れない子が出ていけるようになってくる。おとなしい子の個性が出てくると「ここまできたな」と感じます。おずおずと「先生、カナヘビ飼っていい?」と聞かれたときに「おぅ、いいよー」と言いながら「1マイノリティ獲得!」と思ってます笑。

 

Fox藤原:
このプロジェクトがスタートしてから色々な方に話を聞いているのですが、さまざまな実践が複数の特別支援学校や地域の学校で行われていて、色々考えている先生がいて、実践があるのに、それが共有されていないと思っています。いい実践が知られていないし、そうかと思えば上司に「俺流」を押し付けられたりしているケースが散見されます。「うちの学校の常識が常識ではなかった」と気が付くとか「自分のやっていることは当たり前だとおもってたけど、実はすごいらしい」と気が付くような場所って必要だし、その中で大事な軸が見えてくるといいなぁ、と。そこに行政や校長先生、医療や保護者、コミュニティの人たちが入って来れるようにならないかな、と思っています。みんな特別支援学校で何が起きているかなんて知らないでしょう。私だって知らなかったし。こうした人権に関わることで一番問題なのは、厳然として存在する問題をないもののように扱うことです。

 

Fox福田:
やっぱり出逢っていく、人目に触れていく、知られていく、というのは大事だなぁと思います。子ども達同士が出逢うのも大事だし、子どもたちを見ているみなさんが出逢っていくことも。いままで教師と保護者とか、医療者と保護者とか、出逢いのあり方が偏ってはいなかったでしょうか。そこをバランスよく色々な人たちがまざりあっていく、そこで、出逢っていくだけで産まれていくようなものをみんなで楽しめたらと思います。

 

蓑手:
残念ながら、学校に不満を持っている人が多いですよね。学校にも学校の言い分があるけど、それを言えていないんです。そこをきちんと伝えていくことで解決することがあると思っています。最近教員以外の人と話すことが増えているけど、こんなにも学校現場が知られていないんだ、と愕然とします。教師は立場上、洗いざらい話せないことも、話したくないこともあるんです。僕は今、公立教員ではなくなったので、直接の関係者でないからこそ言えることを声にしていきたいです。特別支援は専門知識や経験の必要な分野なので、そうした知識を普通の先生に求めると、先生はノーガードで倒されてしまうんです。でも先生には立場と言い分があるし、一対一で向き合っている専門職とは違った難しさ、気付かれにくい中でやっていることもたくさんあるんです。そこを解明せず、非難しているだけでは何も起きないでしょう。

 

森川:
僕もグロービスの大学院にいっていた時に、学校のことを喋ると、本当にみんな知らないんだなぁとびっくりしました。蓑手先生が言ったみたいに、自分の学校や保護者には絶対に言えないことがある。たとえば、今ほかの学校の生徒と話すことがあって、単位の話とか出席の話とかになるとその子達には「休んでも仕組みとしては大丈夫」と言えるけど、自分の学校の子には言いづらい。でも、それを言えた方が、たぶん学校と生徒・保護者はうまくいくんです。コロナで別の学校の生徒とつながるということが僕自身できてきたのだけど、斜めの関係のようでとてもよかった。同じように、違う学校の先生がつながっていけるといいと思います。

 

慶徳:
僕は、肢体不自由の子に関わりが多かったので、いろいろな豊かな繋がりが生まれるといいなぁ、と思いました。先日も教え子が一人亡くなりました。いのちがなくなる、ということはありえる。だからこそ、豊かに繋がり、全ての子どもたちの毎日の生活が豊かに彩られていって欲しいと思います。

 

Foxメンバー:
今日はお忙しい中、お話し聞かせていただき、ありがとうございました。これからも色々ご一緒できると嬉しいです。楽しみにしています。