徹底的な個別の支援が集団を変えていく(後編)〜東京都立高島特別支援学校校長・石川拓さんインタビュー

 

FOXプロジェクトのメンバーが2023年7月25日に高島特別支援学校に訪問し、同校の職員さんたちも含め、石川拓校長先生にお話を伺う機会をいただきました。もともとフレンドシップキャンプという障がいの有無に関係なく参加することができ、富士山の麓でカヌーや火おこしを楽しむ、社会教育活動からキャリアをスタートされた石川先生。前半は幼少期から、社会教育キャンプに携わり、そこから学んだことを伺いました。今回は、そこで学んだことがどのように特別支援教育・インクルーシブ教育の意味に繋がるかを伺います。インタビューはFOXプロジェクトファウンダーの藤原さとが担当させていただきました。

 

川拓(いしかわ・たく)

東京都立高島特別支援学校校長

1967年、北海道旭川市生まれ。1987年から2000年まで、肢体不自由児と健常児の交流を目的とした教育キャンプ「フレンドシップキャンプ」のボランティアスタッフとして運営に携わる。キャンプでの体験が特別支援教育と共生社会の実現に取り組む契機となる。北海道の公立高等学校勤務の後、93年から東京都立特別支援学校に勤務。肢体不自由特別支援学校、病院内分教室、肢体不自由と知的障がい職業学科の併置校などに勤務。2017年から副校長に昇任し水元小合学園(肢・知併置校)、2020年から光明学園(肢・病併置校)に赴任。2023年から校長に昇任し現職。著作に『中一ギャップ』(石川晋、石川拓、高橋正一共著、学事出版2009年)ほか多数

 

藤原:

学生時代のキャンプの経験から、個別の支援が集団の成長に繋がるということを確信されたということですが、昨今のインクルーシブ教育の議論、また特別支援教育とどのように関連づけられていますか?

 

石川先生:

僕が特別支援学校の進路指導専任で特別支援教育コーディネーターを兼務していた時のことです。支援学級に、特別支援学校への転校を考えている子どもがいて、観察と支援に出向きました。その子どもは、柔軟に使える筋肉が育たない病気のために、かかとが浮いてしまうんです。尖足(せんそく)で、つま先立ちなので歩いたり止まったりが苦手でした。その子どもに体育の先生がグラウンドを一斉に走っている活動の最中に「速くしろ!」とか言うんです。それ、間違っているでしょう? 速く走れないのはその子どもの「障がいそのもの」なんです。教師がそういう対応をすると、その集団のでのその子の価値が下がります。彼が置かれている学級集団の中の彼の困難さに愕然としました。学級の中のチーフ格の子どもが「いっつもこうなんすよ」って言う。れじゃ友達もつくれないじゃないですか。

 

個に応じた指導をすることで、その子の価値が上がるし、子どもは信頼されているからこそ力を発揮できるんです。その子どもだって適切な支援を受けていれば、価値を下げられずに生き生きと行動できるようになって、その結果周りの子どもが「あいつなかなかいいな」と思うようになって、うだけでなくてその子を尊重した行為、行動、言動生まれたはずではないかと思うんです。そういうことが一人ずつ繋がっていったとしたら、その集団の質的なものは全く違うものにはなりませんか?そうしたサポートこそが教師の役割ではないでしょうか。子どもの「障がいそのもの」を教師が知らないと先のようなことが起きてしまう。

 

藤原:

個別の支援が集団の成長に繋がるということ、すこしイメージがつかめてきました。

 

石川先生:

キャンプで僕が大学4年間学び、専門としたのは対人援助技術です。特にグループワークはそこにある生の集団の中で起きる出来事にどう介入するかを考えます。基本は個別の支援ですが、あくまでも「集団に所属する個」というものに対して支援するんです。さっきの尖足の子もその子にピンで単独で支援したいわけではないんです。その子が所属しているまずは学級という社会のなかで、どういうふうに彼が活動に参加できるようになるかが大事なのです。

 

友達と仲良くしたいということ自体を活動と考えます。誰かの何かの願いを叶えたいということだって活動です。活動って意味が広いんです。社会の中、組織の中、グループの中、家庭の中で、その子が参加したいと考える活動にその子がアクセスできているかどうかが大事なんです。そうした活動と参加の文脈の個別具体に応じた最適化された支援がなされているかということが大事なんですよ。そこをはずしてはいけないんです。生身の人間がそこにいて、応答しながら、応答ができない子については応答を仲介する支援をするわけです。



藤原:

通常級を想定した「個別最適」と言った場合に、学力を上げていくツールとして考えられているケースもあると思うのですが、石川先生の言っている個別の支援と、令和3年の中教審の答申に含められた「個別最適」は同じものですか?

石川先生:

基本は同じではないでしょうか。たとえば、学力を高めるために学力のトップ校が個別最適化された指導をしていくことは大いに結構だと思っています。認知発達や、その人の身体的能力だとか、見え方・聞こえ方によって、さまざまな特性が子どもにある。ノーマルだと言われている子だって、僕のようにメガネをしている子だっているし、ノイズに弱い子だって通常の学級に結構いますよ。その人の意志として選んでそこで学んでいるなら全然OK

 

逆にインクルージョンと「個別最適化された学習支援」をごちゃごちゃに論じてはダメなんではないかと思っています。教科書がない勉強というものはある。教科書がなくても豊かにその子が学んで、その子が力をつけていくということもある。そういう場がある、そういうものの必要性に気がついていくこと大切です狭義の「個別最適化された学習支援」がある一つの場所で押し付けられるようならそれはおかしい。

 

すべての子どもはその子どもなりに発達するのです。私たちが見ている子どもたちのなかには、聞こえない子、見えない子、風邪気味の人が隣にいたら死んじゃうかもしれない子、そういう子どもたちがたくさんいる。そのような子どもたちに即時完全統合(すぐにフルインクルージョン)して、勉強させることにリアリティはないでしょう?その子どもに最適な学習を用意してあげられないどころか、命すら守ってあげられません。大事なのは意志的に納得して、嬉しいなと思いながら学びの場を選択できていますか?ということです。

 

藤原:

先生のメールマガジンに、病気があって、胸郭の緊張を取ってあげないと徐々に呼吸が制限されていき、換気が不十分で疲労しやすくなるなどの二次的な障がいが出やすい子のケースがありました。こうした子たちが健康でいるためには、関節のストレッチや、運動の観察など高いスキルが必要なのだということを知りました。こうした障がいを生じさせないことも学校教育の役割だとすると、特別支援が必須な子たちはいるということですよね。

 

一方で、私は去年デンマークのインクルーシブ/特別支援教育を視察したのですが、少し気になることを言われました。デンマークも、フルインクルージョンではなく、形態は日本と似ているのですが、とても印象的だったのは、特別支援の教師たちが「私たちが安心して特別支援に取り組めるのは、世の中がインクルーシブだからだ」という言葉です。社会で自律した生活ができるだけの福祉があるから、それに向けて支援していくのだ、と。でも日本の場合、分離された特別支援が、高校卒業後の分離された社会を促進するような側面もあるように思います。

 

石川先生:

そうですね。ところで、高島特別支援学校の敷地に隣接している、お隣の学校も都立学校(東京都立高島高等学校)なんです。同じくらいの時期にできました。向こうも新しくする時期にさしかかっているのですが、こっちもそのうち新しくなるでしょう。だったらその時に両校をつなぐ渡り廊下くらい作ればいいのにね、って本当は思っています。

 

(目黒区立中根小学校の渡り廊下ー撮影:藤原)

 

僕が、こういう発想を持つようになった背景には、新規立ち上げを何度か経験していることがあります。の特別支援のキャリアは、フレンドシップキャンプとの出会いの後、1993年の東京都立北養護学校(現北特別支援学校(肢体不自由・病弱))から始まります。1996年からは、児童・生徒が入院中も安心して学校教育を受けられるようにと作られた病院内分教室の開設に携わり、2002年には「がんの子どもの教育支援に関するガイドライン作成委員を経験しました小児がんだけでなく、当時多くの入院児や病気療養中の子どもの学びを支える手続きや必要な行動が示されるものは存在していませんでした。

公益財団法人がんの子どもを守る会 小児がんの資料

東京都立大泉特別支援学校に異動になったのち、2012年から主幹教諭として東京都立志村学園の開設準備に携わりました。2017年に副校長として赴任した東京都立水元小合学園では、肢体不自由教育部門の開設をしました。

 

開設や開校業務の中で、新しい学びの場をつくる経験から、ハードウエアも含めて特性に応じられる環境を考えるようになりした。たとえば、音環境をよくするためにこういう建材を使ってほしいとか、知的障がいの子たちは何階かがわかりにくいから、階ごとにゾーニングしてカラーリングを変えましょうとか。行動の調整がとても難しいお子さんの一部や、認知発達や視覚や聴覚に障がいがあるお子さんの一部にはでっぱりのないデザインだとどこにいるのか分からなくて不安になる場合があるから、学級とか校内の教室などの表示は出っぱっている方がいいとか。志村学園の主に身体の取り組みを行う自立活動室ではLEDの照明を調光式にしました。眩しくても自分で首を動かせない子は、照明がまぶしくても首を動かして避けることができないので教室に入ること自体が嫌になってしまうかも知れないからです。そのようなハードウエアを含めた環境設定の情報が共有されていくことが、分離された社会の状況を変えていくことに良い影響を与えると考えるようになりました。新たな特別支援学校を作るときに検討したり実現したりしたユニバーサルデザインが標準になることで、多様な特性のある人が共にいられるチャンスも広がっていくはずだという意味です。

 

藤原:

私が特別支援教育にはじめて触れたのはアメリカでした。教職課程を受講していたときに特別支援の授業をとりました。実際に地元の公立校の特別支援の現場に4日間ほど入り、学んだのが、ADA法(障害を持つアメリカ人法)、そしてそこにぶら下がる連邦法のIDEA(個別障害者教育法)です。IDEAにもとづき、「全ての子の第一選択肢は通常級である」と耳にタコができるほど繰り返されました。日本のように「特別支援学校に行きなさい」というようなことを実質的に行っていたら法的に罰せられます。教育省の特別支援の部局の中枢にも当然当事者がいます。ただ、非常にコストがかかりますよね。

 

少し話が飛んでしまうのかもしれないのですが、私が特別支援教育・インクルーシブ教育に関わるようになったのは、大阪の西成高校の知的障がい自立支援コースに通うお子さんのお父さんに声をかけられたことがきっかけでした。そしていわば当事者(保護者)のみなさんから、色々教えていただくことになったのですが、その過程で何よりも私が変わったと思っています。緩やかに繋がるなかで良い経験をすると、なにかやってみようかな、という気になります。

 

一方で、通常学級の先生に話をきいたりすると籍交流などはどうしていいのかわからないようです。やっぱり出会って、知っていかなければならないのではないかと。今、公立の学校では不登校児童も、自殺者も増えています。通常の学校であっても多くの子どもたち苦しんでいます。それは「健常者」という子たちだけが集められて知識・技能の獲得で競争させられているという苦しさもあるのではないでしょうか。狭義の「学力観」を突破するような場があって、それがインクルーシブな環境に重なるといいのかな、と考えたりもします。理想論かもしれませんが。

 

石川先生:

僕は学校が好きでした。小学校は公立ですが、今で言う探究のような授業があって楽しかったですね。1学期のあいだに何日か余るとその時間は本当に素敵なことが待っていました。たとえば、僕が大好きな林に自分がコーディネートしてみんなを連れていくとか。高校も公立でした。小学校や中学校の学区を超えてバスや自転車で集まってきたみんなを見て人は多様なんだと気づきました。こんなにすげえやつがいるんだと思ったし、みんなから尊敬を集めるような女子にも出会って性差に対する偏った考えに気づく経験もありました。豊かな3年間でした。

 

僕には娘がいるのですが、一時期学校に通わない時期がありました。学校に通わない、通えない理由はさまざまなんです。学校という場にこだわっているのはもしかしたら大人なのではないかと気づかされました。学校に通わなくてもいいと妻も僕も思うようになりました。その時に痛切に感じたのは「多様な選択肢があっていいんだ」ということです。

 

特別支援学校だけを見ても障がい種別縦割り分けられています。主障がいの特性の違いは小さくありません。でも実際には多くの子どもたちが重複した障がいを有しています。障がいの実態も多様なのです。種別をつき崩して、様々な知識や経験をどうしたら併せて有効に使えるかな、ということは、考えています。そして特別支援教育の必要性について伝えられることは伝えていくべきだと思っています。

 

 

藤原:

さきほどの、石川先生のお話しにもあったとおり、探究学習なんぞをやっている私たちのようなものからすると、生徒が大好きな林に自分がコーディネートしてみんなを連れていくとかそんなときだけでも、障がいのある子とない子が一緒にいれたら素敵なのにな、と思うんです。たとえば、総合の学習の時間で町を歩いてみたり、運動会や修学旅行で一緒に過ごしてみたり、防災を一緒に考えてみたり、そういうことはできないのかな、と。運動会の企画も修学旅行の企画も、障がいのある子たちとどうやったら一緒になれるか、子どもたちが主体的に考えてもいいのではないかと思うんです。

 

石川先生

それは本当に同感というか実感としてありますね。良い出会いというのは、体験を共有するということではないですか?デューイの言う「成しつつ学ぶ」です。副籍交流は確かにうまくいかないケースも現実問題として多々あります。でも、地域の学校と直接の交流ができずに、お手紙のやりとりだけになってしまったとしてもそのうちなんらかのチャンスが出てくるかもしれません。

 

教育として意図的に交流の機会を設ける際に大事なのは、ある活動の時間に固定された集団があること、その集団の中にその子どもがいて、その子どもと他の子どもの関係を媒介できる能力のある指導員がいることではないかと思っています。特別支援学校の現場は、とってもミニマムな子どもたちと、大人たちによる貴重な宝物のような時間溢れています。その宝物のような経験を意図的に発信しなくてはと思っていて、誰かとインクルージョンとか共生社会とか交流をテーマの時に必ず話すエピソードがあります。

 

学校間交流をするときに、障がいのない子どもたちは、一生懸命に障がいのある子どもたち受け入れようと考えがちです。実際は、障がいのある子どもの方が、地域の学校の子たちを暖かく受け入れているのだということに気づかされた話をします。ある筋ジストロフィーの高校生の生徒がこれから自分たちの学校(特別支援学校)に交流に来る予定の生徒に向かって「学校にくるときは緊張しないでみんなと楽しんでもらいたい」「音楽の話をしたり、写真を撮ったりしたことが楽しかった」と言いました。これは、障がいのある子たちのこそが地域の学校の子の心情を察して、気遣っていて、いわばケアしているということを証明する言葉です。きっと交流先の高校の生徒は緊張していて、何かしなくちゃとか、どうしたらいいんだろうとか、いろいろ難しく考えて交流に来るんだろうけれど、そんなに頑張らないでよと言ったわけです。僕が大学のときにフレンドシップキャンプで経験したような逆転現象がここでも起きているんです。障がいがあるとかないとかいうことにとらわれていませんかということです。だれしもが同じ人間なんです。こういう気付きを得たうえで、子どもたちの関係を媒介できる指導者が必要だと感じています。

 

子どもにもそれぞれの精神生活があります。5歳なら5歳、10歳なら10歳です。高校生は高校生なのです。もすると、幼い人や可哀想な人として、扱ってしまっていませんか。それは厳に慎むべきだと教えられましたし、今のそう思ます。そんなことも含め、私たちは見えない差別意識を持っていることがあります。ちゃんとそこに媒介者がいないと気がつかないところで障がいのある子どもたちを傷つけてしまいます。

 

気づきのプロセスにおいて、上から教え込むのではなく、グループワークのように、意識下にある差別感情や障がいのある子どもたちの豊かな世界に、共にいるメンバーたちが自ら気がついていくのが基本です。教師側が勝手にこういう形で着地させましょう、と答えを持っているのはダメですね。その辺は探究学習の考え方と極めて近いのではないかと思います。

 

(左からFOXメンバーの慶徳大介さん、藤原、石川先生、FOXプロジェクトを推進してくださっている、かえつ有明中高の佐野先生、深谷先生)