小金井市教育長 大熊雅士さん『差別という呪いから解き放たれるために(後編)障がいがあってもいまのあなたがいい』

 

公立小学校教諭から区・市・東京都の指導主事を経て、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授などを歴任後、現在小金井市の教育長をされている大熊雅士さん。そんな大熊先生に現在の学校における特別支援のあり方、課題、そして一番変えなければいけないところはどこか、お伺いしました。前編は先生が不登校の問題に取り組まれるようになったきっかけ、そこで直面した問題、その原因についてお話しいただきました。中編では、そうしたときに先生は何をされたのか、教育の現場で何を大事に思っているのかについてお話しを伺いました。いよいよ最終回となる今回。重い障がいを持つ子どもたちも含めたすべての子が共に学ぶインクルーシブの問題について、不登校の問題にずっと携わられてきた大熊先生から「存在受容」の観点でお話しいただきます。

 

 

ーー重い障がいを持つ子どもたちと学校の接点というと、特別支援学校との副籍交流制度が代表的なものですが、そこでなにか感じていらっしゃることはありますか?

 

最近の小学生、中学生は「障がいのある人を差別してはならない」ということを理解してない子どもはいないと思います。また、思いやりのある「行動」もできる子どもも多いことでしょう。でも、現実問題として「嫌だなぁと思いながら関わる」ことがまったくないと言い切れるでしょうか?僕はこれも自分の中に潜在的に出来上がっている価値観つまり、「呪い」があると考えるのです。これからは、「行動」が変わるだけでなく「感情」が変わるというところにアプローチしていかなければならないと思っています。
 
いわゆる学校での差別解消の指導は、「障がいのある人に優しくしましょう」というだけで、「やらなければならないこと」になってしまっています。それは、結局「大変だけど差別はしない」でおしまいになる。障がい者には優しくしなければならないという考え方から「なにかお手伝いしましょうか」と声をかける事ができるようになればよいということではないということです。
 
障がい者には優しくと頭で理解していても、それを覆す感情が湧き上がって来ることもあります。それがいけないというのではありません。その湧き上がった感情をしっかりと受け止める。時には、自分自身の中に関わることに抵抗を感じていることを受け止めなければならないこともあるでしょう。そういう時に自分の感情が動いた時にシグナルがなる。それを抑え込むのではなく、それを受け止めるのです。その上で、相手がどう思っているかを感じる。わからない時は、しっかり質問してもいいでしょう。このように関わる事ができる時、二人に新しい関係が構築できるようになるのです。自分自身のものさしを受け入れ、相手の立場をしっかり受け止めた上で、対話や交流の中から、どのように関わればよいかを考えることができる。それが大切なのではないかと考えるのです。
 
このようなことができるようになるためには、実際に関わりを持つことではないかと考えます。その関わりの中で、自分の中に湧き上がる感情に向き合うことが大切なのではないかと考えるのです。
そして、自分が一方的に行った「善意の活動」に満足するのではなく、自分と違う人に出会ったときに自分の感情を見つめ、自分を変えることが大切であると考えます。

 

(重い障がいを持つ門川未來君と学校のお友だち)

 

でもね、一方でわたしたちは「ものさし」を持つまではピュアなんです。地位とか優れている、劣っているという世界は全くもってつくられた幻想です。なので、そこに戻っていければいいだけとも言えます。「ふつうに接する」ということができていけばいいのにと思います。
 
不登校の子どもたちに関わるときに常に自分に問いかけることがあります。「どう関わったらこどもたちが学校に行くエネルギーを蓄えられるだろう」ということです。不登校の子は基本的に自己肯定感がペシャンコになっているのです。それで学校に来れません。近藤卓先生は、自尊感情には「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」の二種類があり、社会から承認されることによる自尊感情は継続しないと指摘します。それは、オリンピックで10連勝はできないのと同じです。
 
インターネットが普及するとさらに厳しくなりました。以前はクラスのなかで一番絵が上手であれば、クラスのみんなから認められました。社会的な自己肯定感をもつこともできたでしょう。しかし、現代は全世界で争うのです。不登校の子どもに絵が上手だねといった時に、子どもに「先生何もわかってないね、私レベルではイイねなんかつかないよ」と言われてしまいました。イイねの数によってしか、自己肯定感が得られない。クラス一番のお笑い達人でもYoutube上では、認められないのです。そういう意味では、現代は、社会的自己肯定感が育つ社会ではないのです。
 
そうなってくると、基本的自尊感情を育てることが大事になってくるのですが、いまだに教師は「君の絵は上手いね」とか言っている。それでは、今の子どもには通用しないのです。
先日わたしが関わっている学芸大学構内にあるもくせい教室(適応指導教室)で、学生さんと子供とかるたをやったんです、そうしたら、学生さんが子どもを勝たせようとして、真剣にやらない。手抜きをするんです。
 
そんなこと、すべて子どもはお見通しです。カルタで手抜きをせずに真剣に勝負した時、心の底から楽しかったと実感できるのではないでしょうか?たとえ負けても子どもには一人でいるよりここへ来て真剣勝負したほうが面白い。人と関わりることが楽しい。という基礎的自尊感情が育つのです。
全ての人が「ここにいていい」という基本的自尊感情をもてるような学校になってほしいと心の底から思うのです。
 
教育長室に「存在受容」という書を掲げているでしょ(指で指し示す)。これが私が一番大事にしていることです。このことが「基本的自尊感情」を育てることになるのです。とにかく「ここにいていい」「いまのあなたがいい」が大事なんです。「不登校」の問題も「障がい者支援」の問題も一緒ではないでしょうか。

 

 

 

ーーFox Projectで追究していきたいことの一つが、「障がい」を持っていると言われている人こそ、私たちができないことができているのではないか、という世界観の共有です。私たちは、日頃成績、学歴、お金など囚われて、惑わされて、あまり幸福ではありません。そして、結果として遠回りしていつまでも物質世界をぐるぐるしています。でも、さまざまな制約のある子達はいきなり精神的な高次元に到達し、非常に高い人間性を持っていることがあるように見受けます。アール・ブリュットのようなアートなどはその証明です。その逆転現象を伝えていきたいとも思います。

 

なるほど、それは素敵ですね。これからの教育にはいちばん大切なことです。人にはそれぞれその人らしさがある。しかしながら、これまで話してきたように、人は他者を見る時、「自分ものさし」の範囲で見てしまいがちです。そうすると、その人らしさを発見することはできなくなります。例えば、障がいがある人と一度認識してしまうと、その時点で、その人に隠されたその人らしさを発見できなくなってしまうのです。その人らしさを発見しなくてはならないと思っても、潜在的な価値観に基づく「呪い」による感情が視野を広げることを妨げるからです。
 
この「呪い」から自分を開放するためには、体験が一つの方法であると思っています。実際に関わり、その時湧き上がる感情を自覚し、それを抑え込むのではなく、対話や関わりを通して新しい関係を創造してくことが大切であると思うのです。
 
小学校の担任をしている時、ある子どもにこんなことを言われました。
「先生、障がいがあると言われている人は、障がいがあるということが見えているだけでしょ。私たちは、それが目立ってないだけだと思うのです。」
 
障がいがある人との関わりの中で、「自分ものさし」を見直すことによって、豊かな生活を送れるようになることを切に願っています。

 

インタビュー:2021.11.18

 

 

プロフィール:

大熊 雅士(おおくま まさし)

小金井市教育委員会教育長
公立小学校教諭から区・市の指導主事を経験し、東京都教職員センター統括指導主事になる。その後、東京学芸大学附属世田谷小学校教諭・東京学芸大学教職大学院特命教授、カウンセリング研修センター学舎ブレイブ室長を経て、2018年4月より現職。また東日本大震災で被災した子どもたちとのキャンプ活動などにも取り組む。