稲原美苗さんインタビュー(後編):だれも異常じゃない。社会が決めた「普通」になれないだけ

 

稲原美苗さんは、ジェンダー論、現象学、障害の哲学、臨床哲学を研究される大学の先生です。脳性まひのマイノリティ当事者(障害者)でもあります。小さな頃は大阪で、地元の子どもたちと一緒に育ちました。しかし、小学校高学年から三重県に転校、あまりの環境の違いにびっくりします。辛い経験もしましたが、高校で二人の恩師に出会ったことから人生が動きはじめます。棒術の部活に入り、電子楽器を演奏。その後、留学を決意。オーストラリアの大学で社会学を学び、イギリスの大学院では障害の哲学を学びます。マイキーさんという素敵なパートナーにも出会って、今に至ります。世界のさまざまな場所で学んできた美苗さん。前編は幼少期から高校まで、大阪と三重という二つの違うコミュニティでの経験について伺いました。後編は、オーストラリア、イギリスでの経験、そして今について伺います。

 

一筋縄ではいかなかった留学

 

ーーオーストラリアの大学に進まれたのですよね。

きっかけは色々あったんですけどね。高校時代にオーストラリアから留学生が来ていました。その人がオーストラリアの話をしてくれて、興味を持ちました。海外では、障害者がどんな生活ができるんだろうかぁという好奇心を持っていました。最初は音楽で留学したいなと思っていたんですが、紆余曲折あり、社会学や文学を学ぶことにしました。まず、家族から離れて生活できるのかどうか様子を見るために、7か月間、大学附属の英語学校へ入学しました。滞在中にここなら大丈夫だと思ったので、オーストラリアの大学への正規留学を決めて、英語学校卒業後に一度日本に帰国しました。しかし、留学も一筋縄ではいかなかったんです。

 

ーー何か大変なことがあったのですか?

正規留学をするには、学生ビザが必要で、そのビザを取るのに、大使館が指定する特定の医療機関での健康診断が必要でした。残念なことに、その健康診断でひっかかって、学生ビザ(定住許可)が降りませんでした。今のようにインターネットや電子メールがない時代でしたから、ファックスでキャンベラの厚生省のようなところに何度もメッセージを出しました。先方からお返事が届いて、日本の医師が下した診断結果は無効にはできないが、他の指定病院に行って意見書を書いてもらうこと、そして、日常生活での私の姿をビデオで撮ることなどを条件に、再検討していただけることになりました。3か月遅れで、オーストラリアに入国することが許可されて、とても嬉しかったです。

 

本当に楽しかった大学の国際寮

 

オーストラリアでは、ニューカッスルという都市を選びました。日本人が比較的少なく、シドニーからそんなに遠くないところ。大学のキャンパス内の国際寮に入居して、本当に楽しかったです。まず、日本では考えられませんでしたが、例えば、10人部屋だったら、男女比率も5対5、留学生とオーストラリア人の比率も5対5、大学の専門領域もバラバラになるように、配属されていました。お世話役を担うのが高学年のオーストラリア人か大学院で学んでいる留学生でした。そのお世話役になんでも相談できたし、寮の中で勉強も教えてくれていました。毎年メンバーが入れ替わります。アジアやアフリカなどから来る国費留学生は素晴らしい人ばかりでした。努力家や勉強が良くできる人が多く、一緒に食事を作ったり、勉強したり、パーティーをしたりしていました。文化的な背景が異なるので、もちろん良いことばかりじゃなかったけど、衝突し、葛藤しながら、お互いに学び合いました。

 

(オーストラリアの大学で多文化共生社会へ向けたイベントで演奏)

 

パートナーとの出会い〜自分の当たり前を押しつけない

 

その後、電子メールの普及の影響で、イギリス人男性とメル友になりました。それが今の夫のマイキーです。彼はイギリスで哲学を学び始めたばかりの大学1年生でした。私は大学院で社会学を専攻していて、二人の関心事は障害の哲学でした。私たち二人とも、脳性まひの患者であることをお互いに知っていました。毎日、返信しているうちに、彼の考え方が興味深く感じて、渡英し、彼に会いに行くことにしました。

 

マイキーに障害があることは分かっていましたが、実際に会うと、ショックでした。メールのやり取りの中でストーリーができていたので、私の中で彼のイメージを勝手に抱いていたのでしょうね。初対面の時、ヒースロー空港まで迎えに来てくれたのですが、大勢の人々が行き交うロビーで倒れてしまって…、びっくりしました。それが彼にとって初めてのロンドンだったそうです。私は自分の基準で、「イギリスにいるんなら、ヒースロー空港まで迎えに来てね。」っていう感じで軽く考えていたのですが、彼にとってはかなり大きな冒険だったのでしょう。

 

マイキーとの生活のことを語ると、長くなりますが、彼と一緒になったことによって、人間の権利や尊厳について深く考えることができるようになりました。哲学とジェンダーの問題に学術的な興味を持ったのは、マイキーとイギリスの指導教員キャサリーン・レノン氏にお会いできたからだと思います。(留学の様子は『フィルカル』Vol.8-1に詳細を載せております)。でも、つい私たちは、自分の「当たり前」を他者に押し付けてしまうんですよね。自分の「当たり前」を問うことに必要性を強く感じます。

 

マイキーは私にとって、『星の王子さま』のなかの「赤いバラ」だと思います。一緒にいるとしんどくなることもあるんですよね。逃げたくもなります。逃避しちゃえば楽だから…。やっぱり…。「ええええ!なんでそんなふうに考えるかなぁ?」って大きな疑問を投げかけることも多くて、必死で権利主張したり、ちょっと強がって、あまのじゃくになったり、星の王子さまの赤いバラそのものですよ。でも、最終的には、マイキーは、自分の弱さも美しさもはかなさも全部知ってる。そんな存在だから…。星の王子さまのように一人旅に出ようかしら…って考えます。でも結局、彼のことをずっと考えるんですよね。それが、葛藤と愛が交差するところなのかもしれません。

 

(マイキーさんと)

 

日本では「助けて!」って言えない

 

ーー今は、マイキーさんと日本で生活されていますよね。住みやすいですか?

そうですね。集合住宅に住んでいるのですが、近所の人を知らないんですよね(すれ違ったら、会釈や挨拶をする程度…。)。もう少し近所に住んでいる人々とサポートし合える関係性を作りたいと考えてはいるのですが、なかなか難しくって…。福祉サービスは改善されて、使いやすくなってきてます。でも、私のケースだと、ヘルパーさんが来る前に片づけたり、そのままの姿を見せられるような関係性ではないんです。もちろんヘルパー支援は私たちの生活にとってとても役に立っています。もう少し気軽に「助けて―」って言える関係性ができれば、良いのかなって思うんです。ヘルパーとしてお仕事でうちに来られているので、毎週〇曜日△時から2時間というような感じです。その時間内に家事を手伝ってもらっています。

 

しかしながら、素直に「助けて!」って言えないんですよね。私は、周囲の目を気にして、「恥ずかしい」「タブーだなぁ」「迷惑をかけたくない」みたいに考えてしまう。オーストラリアの国際寮の時のように、多様性が尊重されているコミュニティの中では、衝突も葛藤も多かったけれど、自然に「助けて!」って言える関係性が形成されていました。日本で暮らすと、どうして周囲の目を気にしてしまうんでしょうね。「迷惑」っていったい何なのか。心配を引き起こす困難、煩わしいトラブル、苛立ち、不快感を引き起こすさま、そして、不便で不快なこと…などが辞書で調べると出てきますが…。自分が苛立つとか、自分が不快に感じるなどは、この場合の迷惑じゃないように思えて…。

 

他者に迷惑をかけたくないと考える時、私たちは自分の弱さを見られるのが嫌なんですよね。例えば、体調が悪い日、私はヘルパー支援をキャンセルしてしまいます(コロナ禍では、不調だったらキャンセルするのが当たり前なんですが…)。実際には、一番しんどい時に「助けて」って言えないんです。そして、私がヘルパーさんが来る前に片づけちゃうのは、へルパーさんに私たちがどう思われるのかを気にしてるからなんでしょうね。

 

現在同居している家族はマイキーだけです。食材配達サービスなど使えるものはすべて使いながら、生活しています。私がしんどいときに、気軽に助けを呼べるようなサポートがあれば、嬉しいな。そういうコミュニティというか、関係性ってどのように創成できるのかなって、いつも考えています。

 

揺らぎの中で学びあい、安心して暮らせる世界へ

 

ーインクルーシブ・特別支援・ともだち・家族というキーワードで思うこと、どんな世界になってほしいか、その辺についてよろしければ教えてください。

インクルーシブとは、障害の有無・性差・国籍・人種・年齢にかかわらず、すべての人々を包含する状況を示していると思います。誰もが排除や分離されることなく、必要なケアを受けながら住み慣れたところで過ごすことを目的としています。いたってシンプルですが、とても難しいことです。その理由は、多様性を重視すると、それまでの世界観や価値観が揺らぐからだと思います。実際には、揺らがないものなんて何もないんだと思います。ですが、人間はどこかで安定・固定したものに憧れてしまう。

 

特別支援は、special needsと英訳されます。これはインクルーシブな社会には必要なことです。日常生活に支援が必要な人々は少なくありません。障害のある人々や課題がある人々を含め、すべての人々が共に生活できるように推進されています。ユニバーサルデザインなのか合理的配慮なのか、私には二項対立的な議論では前へ進まないように思えてなりません。インクルーシブな環境を作るには特別支援が必要だし、特別支援を進めるにはインクルーシブな環境が必要だと思います。
 

ともだちは、私には「共に育つ」関係の構築から生まれる奇跡的な仲間だと思います。共に育つ中で絆ができてきて、「助け合う」関係へと変容していく。ともだちがいないと、インクルーシブな環境はできません。ですが、ともだちは、単なる愛とか絆という美しいつながりではないと思うのです。人間のドロドロした嫉妬、葛藤も、自分という存在に気づいていくうえでは重要だと思います。『星の王子さま』に出てくるキツネが示そうとしている、「ともだち」はなろうと思ってなる存在ではなく、気付けば、そこにいる存在なんですよね。ものすごく、色々な経験を重ねて、そこにいて当たり前になれると、ともだちになったんですよね。

 

「家族だから…」という呪縛が大きすぎると、皆がしんどくなるような気もします。家族だから、しんどいし、家族だから、もやもやするし、家族だから逃げたくもなる。家族だからわかり合えないこともありますよね。 

 

安定しない身体や状況を持っている人が、揺らぎの中で学び合い、安心して暮らせる世界になればうれしいです。人々の揺らぎに敏感になれるように、つながりを重視していきたいです。ですが、理想論だけではどうすることもできないことも良く分かっているので、現実のつながりをどうすれば作れるのか、微力ながら、皆さんと考えていけたらと思います。

 

ー哲学がその問題を解決すると思いますか?

哲学やジェンダーの問題に関心を持ったのは、たぶん、私自身が幼い頃から「普通」という考え方に疑問を持ち始めたからだと思います。普通って何だろう? 普通じゃない私がどうしていけないのか? どうして話し方が変だと、不条理に扱われるんだろう?とか、自分の中で疑問ばかり出てきて、誰も答えを教えてくれませんでした。障害もジェンダーも、ある意味、規範の問題だと考えられます。この規範や当たり前って、そもそも誰が何のために決めたのか。普通の結婚? 普通の関係? 普通の身体? 普通でいなさい…??? 普通じゃないことが障害になったり、ジェンダーでも異常とされちゃったりするんです。実際は異常じゃないんです。社会が決めた普通になれないだけで…。 その疑問に対して少しずつ答えをくれたのが、哲学でした。人間の内なる力もですが、人間の弱さやはかなさを知ることも重要なことだと思います。答えはそんなに簡単には出てこないですし、私自身、多くの哲学書や文学作品を読む中で、自分と本の対話をします。そして、多くの人々と対話をすることで、私独自の「知」を得ることができましたし、この「知」はどんどん更新していくのです。

 

ーありがとうございました!

 


聞き手:橋場満枝(左)・藤原さと(右)
2023.5.27 ヘラルボニー「ART IN YOU」を一緒に見に行って

 

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語り手 稲原美苗さん

 

神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。
専門は現象学、ジェンダー論、臨床哲学。
対話の中でジェンダーやマイノリティの問題を考える活動をしている。

共編著『フェミニスト現象学入門―経験から「普通」を問い直す』(2020年、ナカニシヤ出版)、『フェミニスト現象学―経験が響きあう場所へ』(近刊、ナカニシヤ出版)