医療的ケアが必要な11歳の双子の重症心身障がい児と、高校生の母である坪内博美さん。地域の中で副籍交流やオンライン交流、ママコミュニティなど、積極的なインクルーシブ活動やコミュニティ運営をサポート中の坪内さんにお話を伺いました。
障がい児の姉
ーー高校生のお姉ちゃんがいらっしゃるのですね、うちもそうなんです。
ええ、そうなんですね!それだけで親近感がわきます。
双子の重度障がいがある寝たきりの子がいるので、正直な話、お姉ちゃんには殆どきちんと真正面から向き合って育てることができてないんです。
その都度、超反抗期という感じで…。ただ弟の障がいが分かった時にとにかく家族だけでは抱えるのが無理だと思ったので、まず弟たちを外に外に出して、周りにも知ってもらえるように働きかけてきました。
そのおかげで姉のことも知ってもらえようになり、姉のちょっとしたフォローは近所のママ友にしてもらったりと、周りの人に育ててもらいました。
双子を産んで、ある意味ガラガラガラと現実は崩れ落ちて、全く前例がない世界に突き落とされました。
予期せぬ重度心身障がい児の出産
ーー坪内さんのおっしゃる「前例がない世界」に入っていた時に、どんな風に感じましたか。
予期せぬ双子の重度心身障がい児の出産でした。元気な赤ちゃんが生まれてくるとドクターも私も思っていました。
ちょっとお腹の張りを感じたので35週くらいの時に入院の用意して受診しました。全然急ぐ必要もないと言われたけど、私はすごい苦しんでいて…。オペの準備ができて、そして生んだ双子は酸欠による重度心身障がい児。
前日から胎盤が剥がれ落ちる酸欠状態で、生きるか死ぬかの状態でかろうじて生まれてきました。NICUにいる時、たくさんの管と人工呼吸器をつけられて、命だけは助けて欲しいと思っていました。
「助かったところでどういうことになるんだろう、でも助けてほしい」と、その時は命は助けてほしいと願ってたように思います。
1ヶ月、2ヶ月と毎日病院に通う中で、後から生まれてきた赤ちゃんたちが退院していくんです。小さく産まれても、管をつけていても元気で退院していくのに、うちの子はそっくり返ってずっと泣いていました。
先生やナースに「うちの子は絶対重い障がいが残りますよね」と言うと、みんな口を揃えて、「子どもの発達は無限大だから、ゆっくりでもちゃんと発達するから大丈夫」と言うんです…。「全然大丈夫じゃないやん、こんなん」と思いながら、もやもや…。
退院時のカンファレンスで、「残念ながら覚悟してください。訪問看護ステーションが週3回一人あたり90分☓2、病院を出た後の在宅の支援はそれしかない」と言われました。
預けるところもないし、通うところもない。ずっと家にいないといけないのかといろいろな不安がよぎる中で、「どうしたらいいんですか?」ときいたら、「それはお母さんが作ってくんです」と言われて…。マジですか…と思った中での退院でした。
眠れない日々
ーーその後の生活は?
本当に24時間365日、寝る暇がありませんでした。でもやるしかない。
子どもがずっと泣いているのに、私はもう眠くて眠くて意識が朦朧として寝落ちしたり。
「今回も下に降ろして寝かせることができなかった」と思った時に、ぎゃーって泣かれて、こんなことを思っちゃダメなんですが、首を絞めたくなるようなこともありました。
逆に、口から哺乳瓶で飲ませるのが難しいんですけど、飲んでくれると生きようとしているんだっていう気持ちにキラッと目覚めて、私がこの子らの道を切り開いていくしかないという気持ちが生まれたり…。
その3つのパターンが毎日頭の中をぐるぐるしながら最初の一年を過ごしたような記憶があります。
共に生き続ける原動力
ーー坪内さんは元気ね、強いね、笑顔がいいねと言われていると思うんですけど、坪内さんがそうやって大変な状況の中でも頑張れている、坪内さんにとって何を元気にしたり、笑顔にするエネルギーにしているのですか?
元気そうに見えますか?泣く時もありますし、怒る時も多いです。大変な双子2人という状況の中、一日一日だと思って積み重ねていくだけです。
私よりも30才年上の私の母が子どもたちの世話でキラキラして頑張っている姿を見せてくれて、私も負けたらアカンやろうと。競争社会の中で生まれ育った私としては、なにくそ根性があったのかもしれません。
その一方で、皆が口を揃えて「こういう子たちは育ててもらえる環境のある家庭に生まれてくるんだよ」と言われることがあり、ショックでした。
誰もそんなことを望んでいないし、他人から見ればそうかもしれないし、元気づけてくれる言葉かもしれません。でも私は、「大変やね、何か出来ることない?」と言ってくれる方が嬉しかったように思います。
「大事にしなあかんよ」「お母さんやから来たんやから、一生懸命大切に育てなあかんよ」と言われると、「そっか、私が選んだんだよな」とスイッチが入ったこともあります。
やっぱり2人もいるので、何が原動力になるかというと、「お母さんが泣いてちゃダメ」というのは大きなところです。
姉と地域の人たちの存在
子どもたちが生きようとしてるのに、お母さんがうつむいて暗い顔していてはと思いました。あと娘の影響も大きいです。娘は双子が生まれた時、年長でした。
娘は弟たちは治る、良くなっていくと信じていました。弟は良くなっていくんだよということを娘に伝えていたので、その通りにしなくてはという暗黙のプレッシャーが自分にかかっていたかもしれません。
ある時から自分一人では無理だと思いました。周りに知ってもらい、助けてもらって、みんなで育てていかないともう本当に無理だと思いました。
私の場合は、「外に外につながりたい」「今まで普通に私が歩んできた生活を、子どもを産んでもしたい」と思う気持ちで動いている気がします。
そういう風に行動していったところで出会う方々からもらうエネルギーが結びついたり重なり合うと、すごい化学反応が起こりました。
笑顔のちから
障がいを持って産まれたらアンハッピーになるというイメージを一般の人が持っていると思うんです。だから、ママコミュニティみたいなものを作ってみんなで幸せになろうよという活動もしています。
障がい児がいると、平坦な階段もあれば、障がい物が階段の途中にはあったりしますが、登って行けるんですよね。そういうのがどんどん笑顔につながり、後に続くママ達がまずは泣き顔で来ても、私たちの体験を話をすると笑顔になってくれます。そういうのが良い状態で今の私につながっているんだと思います。
(後編に続く)
インタビュー:Y 2021.9.16
プロフィール:
坪内 博美(つぼうち ひろみ)
福井県福井市生まれ
福井商業高校、関西大学 商学部卒業後、福井にUターンして、酒・食品の小売業に就職。
その後、自動車リース会社勤務を経て、2003年に結婚、翌年長女出産。
2010年に出産した双子男児が、共に医療的ケアを必要とする重症心身障害児。
その日から、あらゆる部分で社会の枠組からはみ出している日常を、いかに愉快に楽しく過ごせるのか。。。子育てを通じて実践中!! 子供達の自立、そして、自身も『双子重症児の母』を主語にせず、1人の人間として生きることが 目標です!
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障がい児・医療的ケア児の保護者グループ『てくてく』
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2020年、オンラインによる居住地校交流会で同級生にプレゼントした『ぼくたちの1日』漫画冊子
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“坪内博美さん「障がいがあってもなくてもー双子の重度心身障がい児を育てながら(前編)」” への2件のフィードバック
坪内さん お母さんはえらい、強い!その一言です。
県が障がい児(者)福祉を、真剣に耳傾け始めていただけているようで、よかったと思います。
市にも、がんばってもらわなきゃ、と願っています。愛
地域社会、地域福祉をNHKの通信教育で学んで40年前、できるところで、がんばります。なんとなくではなく、心して。愛
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