副島賢和先生(前半)教師は失敗していいー「きく・みる」からはじまる出逢いのつくりかた

 

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ホスピタル・クラウン、あかはなそえじ先生としてご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。17年間地域の小学校で先生をしたのちに、病院の院内学級の担任を経て現在は病気のある子どもの教育の保障を研究しつつ、さまざまな活動、講演に携わっている副島賢和先生。前半は子どもたちにどう出逢っていくのか、どんな風に向き合い、関係性を深めていくのかについてお話を伺いました。

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副島 賢和(そえじま・まさかず)さん
昭和大学大学院保健医療学研究科 准教授 昭和大学附属病院内学級担当
東京都公立小学校教諭として25年間勤務。うち8年間品川区立清水台小学校(昭和大学病院内さいかち学級)担任。2014年4月より現職。病気のある子どもの教育の保障を研究(昭和大学附属病院内学級担当)。学校心理士スーパーバイザー。ホスピタルクラウン。北海道・横浜・福岡こどもホスピスプロジェクト応援アンバサダー。TSURUMI・東京こどもホスピスプロジェクトアドバイザー。著書に『あのね、ほんとうはね』(へるす出版/2021年)ほか。ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ/2009年)のモチーフとなる。2011年『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK総合)に出演。

 

(聞き手:FOXプロジェクトディレクター 福田倫子

 

「きく・みる」からはじまる出逢い

FOX 福田:
副島先生の「僕はここにいるよ」というような「出逢い方」はどんなふうに作られるのですか?先生のご本『ひとりじゃないよ』を読んで、子どもをみる目の緻密さに驚きました。自分にも深く向き合ってないと、そこまで深く入っていけないだろうなと。その辺りは、小さい頃からそうだったのでしょうか、それとも普通級でのご経験や、クラウンとして学ばれてから変化があったのでしょうか。

 

そえじ先生:
もちろん、小さいときからのいろんな経験があって出逢いがあっての今なのですが、僕は人とワーッて一緒に行って何かするのはあんまり得意じゃないんです。子どものときから、人とどう関わっていいか良く分かりませんでした。だから、ソーシャルスキルという言葉を全然知らない幼い頃から、人の立ち振る舞いを一生懸命に見ていました。

 

どういうふうにすると人と仲良くなれるんだろうとか、どういうふうにすると自分の言うことを聞いてもらえるんだろうとか、どういうふうにすると嫌われちゃうんだろうとか、どういうふうにすると喧嘩をしなくて済むんだろうとか、どういうふうにすると謝ることができるんだろうとか。そういうのをずっとずっと見て、上手な人の真似をしていました。思春期ぐらいはちょっとずるくなって、大人の様子を見ながら「この人にはこのぐらいでこうやっておくと許してもらえる」というようなことも、小賢しくやっていた時期はあります。

 

そして、教員になってから、「きく」と「みる」ということを身につけていきました。特に「きく」ということについては、教員10年目ぐらいに、心理の勉強をしに大学院に行った時に「本当にきく」ということをすごく勉強をしました。また「みる」というのは、クラウンの勉強の中で培っていったかもしれませんね。

 

心理の勉強しているときに、一番辛かったトレーニングは、誰かの話を聞いているときに、自分の中に湧き上がってくるさまざまなものにどう対処するかということでした。最初はそこを見ないようにして相手の話を聞くことが大事だと思っていたんです。でも、心理学を勉強してわかったのは、自分をちゃんと見つめて自分の中で何が起きているかをきちんと把握して、それを横に置いておくことだということが分かりました。

 

たとえば僕がある人から父親との関係の相談を受けたときに、自分の中で父親との関係がうまくいってなかったら「そうだよね!お父さんってさ、そうやって強引なところとかあるよね!」と言いたくなるけれど、でもそれは私の中の感情や思考であって、その人の話じゃないんですよね。

 

だから、それをちゃんと受け取っておいて、置いておける。自分の中に出てきたものを、自分の中の声を聞くことによって、それを1回横に置いておいて、「今、あなたと向き合っています」というのがすごく大事だっていうのを学んで、自分の中でどんな感情が湧き上がってくるかとか、どんな思考が動いているかっていうのは、一生懸命見るようになりました。

 

こうして自分の内側を見つめるということを心理学で学んだ上でクラウンの勉強をしたときには、自分の動きとか表情とか、そういう仕草とかをすごく見つめる作業をしました。

 

赤鼻つけて、パントマイムができたり、手品ができたりしたらクラウン、というわけではなくて、たとえば、自分がどんな歩き方をしているかとか、どんな歩幅なのかとか、そのときにちょっと右肩が下がっているのかとか、そういうことを1個1個トレーニングするんですよ。トレーニングするというか、気がついてくる。自分の中で、本当にギリギリになったときに、自分はどういう行動をしてしまう人間なのかとか、焦っているときはこうやってしまうといったことが、クラウンの勉強することによって、分かってくるんです。

 


(写真 寺中有希、参考インタビューhttps://www.pajapan.com/being/2018/06/30/soejimamasakazu/

 

こうして、自分を見つめるっていうことを積み重ねていきましたが、自分を見つめるってとても怖いことなんです。僕も最初、怖かったんです。自分の中で何があるかとか、どんなことを考えているかとか・・・だって、嫌な自分がいるから。真っ黒な自分もいるわけで、そこをちゃんと見つめてないと、その黒い自分が沸々と、人の話を聞いたりしているときにちょっかいを出しにくる。でも、それを見据える目は教員に必要だなって今はすごく思います。

 

たとえばその席に座っている子どもに対して、私はどんな顔をして、どんな歩幅で、どういう速さで近づいているか。僕がもしその子の場所に座っていたとしたら、どんなふうに自分が圧力をかけてるんだろうとか、そういうことに想像をめぐらせることもクラウンの勉強する中で、分かっていったと思います。

 

「先生!」って言われたときにハッと振り返る顔、自分がどんな顔しているかなんて、普通は知らないですよね。だけどそれを見つめるのがクラウンの勉強なんです。自分がもう緊張して、ゆったりしてないとき、ギリギリの状態にいるときに、ぶつかられて、柔らかい声のトーンで、「どうしたの?」と問いかけるのか、問いただすように「何?」って反応するかで、全然違うじゃないですか

 

教師は、心理士がやるほど自分の心の中を見つめる必要もないし、クラウンがやるほど自分の行動を見つめる必要もありません。でも、自分がこういう状況が起きたときにこういう気持ちを持ちやすい人間なんだなとか、こういう考えで動いてしまう人間なんだなとか、こういうふうな行動をとる人間なんだなっていうことは、知っておくと自分が楽になると思います。誰かの声を聞くことって、結局自分の声をちゃんと聞くことに繋がっていくんです。

 

 

子どもは大人が失敗し、どうリカバーするかを見ている

FOX 福田:
本当に自分に対して雑にせずに、丁寧に、自分と一緒にいるっていうことを、日々日々、毎瞬されてるんですね。

 

そえじ先生:
抜けるときもたくさんあるんですけれどね(笑)。でも、抜けたときは、子どもが教えてくれます。「ねぇねぇ」と声をかけたら、「俺、ねぇねぇじゃないし」とかって言ってくれて。「ごめんごめん、名前聞いてなかったよね!」って。子どもがちゃんと教えてくれるんですよね。

 

FOX 福田:
なるほど!全部を完璧にやらなきゃっていう気負いもない感じなのでしょうか?

 

そえじ先生:
結構必死ではあるんですけどね(笑)。反省も、いっぱいするんです。子どもたちが帰った後に、こうしておけばよかったとか。だから、今、10年前のプロフェッショナルのビデオを、大学の講義などで流すんですけど「ここ、こうやってやるんですよ」ではなくて「ここ失敗してるんです」とか「今だったら、この方法はやりません」とか、そういうことを全部、学生さんにお伝えするんですね。

 

FOX 福田:
私は、色んなことに気をつけすぎると、失敗が怖くなりがちで・・・。失敗を見たくない自分すら見ていくということを、していくのでしょうか。

 

そえじ先生:
できるようになってきたのは、年齢を経験を重ねてきたからだと思います。やっぱり、若くて教師になりたての頃は、子どもに負けたくなかったですからね。子どもたちに、失敗なんかもう、見せられたもんじゃない。

 

私が教員1年目に小学校5年生の担任だったとき、黒板に直角の直って書いたんですよ。あの2画目は、縦棒なんです。今はもうその辺まで細かくは言わないけど、でも30年前、僕はカタカナの「ナ」みたいに書いたんですよ。そのときに、教室の真ん中ぐらいに座っていた男の子が、「先生、字が違いまーす!」って言ったんです。まだ関係がちゃんとできてなかったんですよね。僕、カチーン!ってきて、あろうことか、その子に向かって、「じゃあ、お前書いてみろよ!」って言ったんですよ。

 

 

そのときのその子の表情と、クラスのあの雰囲気を、僕は今でも忘れられないですね。今だったらもう、大チャンスだと捉えます。「違いまーす!」なんて言われたら、「よっしゃ来た!!」って思うじゃないですか。だって、「どこ?どこが違う??」とか言いながら「ちょっと待ってー」って言って、辞書引きに行けばいいわけでしょ。

 

教師だって大人だって、字がわからなかったら辞書引いているんだねっていうモデルをみんなの前で見せる大チャンスを僕は棒に振って、「じゃあお前書いてみろよ!」ってやったんですよ。そんな教員でした。もう本当に、夕陽に向かって走って振り返って、誰もいない・・・みたいな(笑)。

 

でも、そのときに、本当は子どもたちが見たいのは先生の失敗じゃないっていうことに気がついたんです。子どもたちは、失敗した大人がどうやってそれを修復していくかとか、どうやって真摯に謝るのかとか、そういうことを丸々ごと見たいんですよね、きっとね。

 

子どもたちは、大人から言われるでしょ「弁償しなさい、ちゃんと謝りなさい」って。でも、大人が弁償してるところとか大人が謝ってるところとか修復してるところをちゃんと見せてもらってないんですよ。友達とうまくいかなかったとき、失敗してしまったときにどうすればいいのかだって、見てないんだもの。それを見せられるなら、この上ないチャンスじゃないかと。

 

そりゃあ、内心ぐちゃぐちゃになりますよ?「先生、何言ってんの?先生、失敗したんだからちゃんと謝らなきゃ駄目じゃん!」って言われたら、「はぁ〜?」とか「あぁ〜・・・」というような、心がかき乱されるような気持ちにもなります。でも、一つは、「チャンス!」って思うことですね。それからそれを見てくれた先輩とか周りの仲間がいてくれると大きいです。「あそこ、よくちゃんと謝ったね」と言ってくれる先輩がいたり、それを聞いた保護者の方が「先生ってちゃんと子どもたちに謝ってくれるんですね」と言ってくれたりしたときなどに、「よしこれで間違いなかった!」っていう、何かちょっと自分の中が回復するような、体験をさせてもらえたのは大きかったんです。

 

教師はもっといろいろな顔をもっていい

FOX福田:
そえじ先生の生徒とのフラットな関係のお話しを伺うと、先生・生徒だからという関係を超えた「一緒にいる」っていうのは「ともだち」にも繋がると思うのですが、その辺りの距離感をお聞きしたいです。

 

そえじ先生:
実は、教師はいろんな役割をやらなきゃいけないのかもしれないですね。たとえば友達だったり、保護者だったり、その教師だったり。それは、院内学級に行ったときにすごく考えたことなんです。

 

院内学級の子どもたちは、人間関係が本当に狭くなってしまうんです。そこで、いつもいつも教師対子どもでいると、子どもたちは、その自分の本当の気持ちを言えなかったり、我慢しないで友達に文句を言うべきタイミングで言わなかったりということが起きてくるんです。何て言うかな・・・年齢的にアンバランスな、大人っぽい成長をする子たちもいて。長期入院している子たちなんかは特にです。

 

なので、院内学級の最初の頃は、友達の役割にとどまらず、先輩や後輩の役割をしたりとか、いろんな役割をずっと考えていてやってきました。でも、今は役割ではなく、相手が何歳だろうと何年生だろうと、1人の人間として関わればいいんだなっていうところに落ち着いています。人として、しっかり向き合って、関わることが、多分あの子たちに対しても誠実な関わり方なんだろうって思うんです。2人の間にプリント学習のプリントをポンっておけば、先生と生徒っていう関係は作れるけど、でも何かそこじゃないところの付き合いをどうするかっていうのがすごく大事なんだろうと思うんです。

 

後半)につづく

インタビュー:福田倫子 2022.4.27