今年の秋、FOXプロジェクトで、医療的ケアが必要な11歳の双子の重症心身障がい児をもつ坪内博美さんにお話をお伺いした時、こんなお話を聞きました。
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1ヶ月、2ヶ月と毎日病院に通う中で、後から生まれてきた赤ちゃんたちが退院していくんです。小さく産まれても、管をつけていても元気で退院していくのに、うちの子はそっくり返ってずっと泣いていました。
先生やナースに「うちの子は絶対重い障がいが残りますよね」と言うと、みんな口を揃えて、「子どもの発達は無限大だから、ゆっくりでもちゃんと発達するから大丈夫」と言うんです…。「全然大丈夫じゃないやん、こんなん」と思いながら、もやもや…。
退院時のカンファレンスで、「残念ながら覚悟してください。訪問看護ステーションが週3回一人あたり90分☓2、病院を出た後の在宅の支援はそれしかない」と言われました。
預けるところもないし、通うところもない。
本当に24時間365日、寝る暇がありませんでした。でもやるしかない。
(略)
私は旅が好きなんです。旅行に行けなくなる、外に出るのが大変になるのがすごいショックで…。
ちょうど双子たちが生まれた時に出会った在宅ドクターに、「家族旅行も行けないし…」とぼやいてたら、「いや行きましょうよ」と言われたんです。
その時はすごく驚いたんですけど、ドクターが中心になって企画してくれて、海に行けたんです!
海に行けたし、今度は遠方にも行けるよと「軽井沢キッズケアラボ」というプロジェクトを立ち上げてくれたんです。
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さて、坪内さんご家族のために海や軽井沢への旅行を企画してくれた在宅ドクターがまさに紅谷浩之先生。紅谷先生はどのような思いで「キッズケアラボ」や「ほっちのロッヂ」をつくられてきたのでしょうか。紅谷先生の目から見る教育の現場、障がいを持つ子どもを取り巻く生活はどのようになっているのでしょうか。私たちは何ができるのでしょうか。どんなに重い障がいを持っていても、「遊び」を通じてすべての子どもは驚くほどの成長を遂げるし、そのためにも「ともだち」は必要不可欠だと先生はいいます。
聞き手はFoxプロジェクトメンバーで、自身が重度の障がいを持つ未來君の父である門川泰之、東京大学で学校教育や保育現場における「遊び」の研究をしてきた福田倫子、探究する学びの場づくりを通じて、日々教育者と関わっている藤原さとの3名です。インタビューといいつつ、私たちもそれぞれの立場からエピソードをお伝えしながら対話が進みましたので、その場の雰囲気をできるだけそのままお伝えしていければと思います。
Fox(藤原):先生のクリニック「ほっちのロッヂ」は私が開発パートナーとして開校前よりお世話になっている軽井沢風越学園の目の前にあり、よくお話を聞いていました。でも、あらためて先日クリニックを訪問し先生にお話しを伺う中で、地域ぐるみで暮らしを整えていくであるとか、一過性でも消費対象でもないまちづくりの中での医療、ケアとしての文化拠点という考え方にとても共感しました。私は教育活動をやっているのですが、まさに教育は「文化の担い手を育てる」という目的があり、そこが役割であると考えています。でも、文化の担い手と言っておきながら、インクルーシブといいながら、そのインクルーシブの幅が狭いのではないか、という懸念もあります。紅谷先生は、キッズケアラボやいまのほっちのロッヂなど、先進的な取り組みをされていますが、もともとの問題意識やどうしてこういうことをしようと思うようになったか、エピソードなどがあれば教えてください。
ほっちのロッヂ外観(藤原撮影)
重度の障がいをもつ子どもたちには圧倒的に「あそび」と「ともだち」が欠けている
紅谷先生:医療は大前提としてケアする側とケアされる側に分けて関わりをはじめます。私たちは(ケアする)医療者であなたは(ケアされる)患者です、ということです。病院にいれば病院の中でその立場が変わることは基本ありません。そのため、多くの医療者はそれがあたりまえだと思っています。でも在宅医療の現場では、それが逆転することがあります。
たとえば、医者が「おじゃまします」といって、ご自宅に入る。すると、お茶やお菓子を出して頂くこともあります。つまり、私たちはもてなされる側、つまりケアされる側に逆転するのです。医師はこちらから患者さんのお家に入っていき、生活者としての患者さんをみていきます。また、病院から自宅での暮らしに帰っていっただけで、エネルギーを増す人がいるのを沢山見てきました。その中で、ケアする・される側という分断をなくすだけで大きく変わっていくことがあるのではないかと確信を持つようになりました。
さらに、医療的ケア児という子たちを診はじめて強く感じたのは、この子達は病院を退院して家に帰っても、暮らしがないのだ、ということ。子どもたちは、家に帰ってもケアされている側だし、学校に行っても、病院に行ってもケアされていました。親が子を(一人の人間として見るより)ケアする対象としかみていないケースすらしばしばあります。3歳の子をまるで0歳児のように扱い、親との関係のなかですら(本来自然な親子関係である)双方向の関係性をもてないケースがあることに違和感を持ちました。さらにいうと、重心児・者デイサービスと言われるような現場ですら、医療ケアの延長で「預かっている」ところが圧倒的多数、というのが印象です。もっともっと、(双方向な関係性を取り戻し)暮らしにスポットライトをあてていかなければならないと思っています。
そして、「ともだち」と「あそび」を異常になくしてしまっているのが、医療ケア児の世界です。そのふたつを奪っているのは医療者と大人でしょう。それを取り戻していきたいと思っています。私自身、最初は医療的ケア児を僕も甘く見ていて、どこまで力があるのだろう、と思っていたようなところもありました。でも、子どもたちの力を信じてみたら、しゃべれないと言われていた子がしゃべれるようになったり、座れないと言われていた子が座れるようになったりと驚くようなことが起きたのです。僕が医学の常識と思っていたことは、人を閉じ込めた時にどうなるか、という実験結果でしかなかったことに気がつきました。
Fox(藤原):インタビューらしからぬ自分の話をしてしまうのですが、私は大学1年のときにパキスタンに行きました。その時に首都カラチの最貧困地域に訪れる機会があったのです。そこは援助が入らず、雨が続くと水浸しになり伝染病が蔓延し、沢山の死者が出るところです。当然子どもたちも学校なんかいけません。でも、そこで私たちは最大限のおもてなしを受けたんです。一番のおめかしをして、プレゼントをくれました。一方で、北上し、アフガニスタン難民キャンプの近くに行った時は、人々は悲惨な顔をして、苦しみを訴え、常に何かを欲しがりました。カラチの人たちよりよほど恵まれた状況にあるにもかかわらずです。そこにある人としての上下関係に強い違和感を感じました。つまり援助はやり方を間違えると人をダメにする、人の尊厳を奪ってしまう、という強烈な原体験を持っています。
教育も同じです。教育の現場では子どものほうが教師より優れていることなどいくらでもある。重度の障がいを持つ子さんについても、彼らの姿の奥底にあるもの「人そのもの」が見えてきたら、私たちがむしろ学べることが多いし、先生にすらなると感じています。
Fox(福田):「暮らし」に失われている「ともだち」と「あそび」というところで、FOXプロジェクトだと、「ともだち」ということに焦点を当てていますが、紅谷先生のお話の中で「あそび」も出てきているところが、非常に興味深いです。私は大学院時代の研究テーマが「幼児の遊び」でした。子どもたちとずっと遊ぶことが研究でもあり、私のやりたいことでもありました。「あそび」という視点がそこにあることについて具体的にお聞かせいただけますか?
紅谷先生:「あそび」とは決められた枠組みからはみ出していくときに大事な作業なのではないでしょうか。日本では「遊び」と言ったときに、ハンドルの「あそび」のように余裕のこともさします。オランダの歴史学者ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』で言っているように遊びこそが人を人らしくしていると思うことがあるんです。つい最近、軽井沢町でシンポジウムがあって、軽井沢高校の生徒会長が「大人はちゃんと遊んでいますか?」という質問を投げかけたんです。彼らにとっては「遊んでいる」大人がかっこよくみえるんですね。
糸井重里さんも、子どもは不便な生き物であって「こどもという障がい性」があると書かれていました。確かに障害の有無にかかわらず、子どもは自分で夕ご飯メニューのことも決められませんし、学校を休む休まないの権限は実質的にほとんどない。ただ、子どもは「遊び」と「ともだち」がいるから生きていけるのではないか、と。だとしたら、(重度の障がいを持っているということだけで)「あそび」も「ともだち」も失われているなんて、最悪のこども時代ではないかと。そういう意味で多面的に「あそび」を捉えていきたいのです。
ケアラボもはじめは医療のチームで動いていたのですが、保育士がチームに入った時にがらっと雰囲気が変わったんです。それまでは正直なところ遊びが言い訳のような「ここで何をしようか」「歌でも歌おうか」というただの作業のようなものだったのです。でも、保育士がその子の成長、得意不得意、興味関心のポイントを見極めて適切にあそびを配置したときの化学反応は驚くべきものでした。
Fox(福田):あそびを配置するとおっしゃられましたが、直接関わるというより、環境を整えることで、子どもが自然に関心を示すこともあると思います。どのようにその場を整えていらっしゃりますか?
紅谷先生:実はその辺、かなり突っ込んで取り組んでいます。ひとつには、遊びというものを科学的に分解し、一人ひとりの子どもが感覚的な育ちのどのポイントにいるかを細かく分析した上で、環境を整える、ということにトライしています。例えば、たとえばブランコひとつにしても、ブランコが怖くて乗りたくない場合、さまざまなケースがあります。暗い部屋だったら乗れるとか、暖かい日と寒い日だと違うとか、持つ場所がチェーンだとダメだけど紐だと大丈夫とか。そうした、その子一人ひとりの感覚に寄り添っていかないと、その子が遊びから得るはずだった平衡感覚みたいなものを諦めてしまうことになります。
一方で、保育士の複合感覚の中での遊びというようなものは、人との関わり合いも含めて、現場の化学反応が大きいので、そこは保育士さんに任せるし、任せられる環境づくりも考えています。
「暮らしを支える」ことにとことんこだわる
Fox(門川):先生は福井や軽井沢という都市部ではないところで場をつくられていますが、それには何か理由はあるのでしょうか?
紅谷先生:僕は僻地医療からスタートしたんです。なので、地域医療は病気だけではなく、その地域の環境的な要因も診察対象、治療対象になりますので、そのやり方を自然にとることになります。場所にこだわりがあるというのではなく、はじめにクリニックをスタートした福井は僕の生まれ故郷ですし、軽井沢は北陸新幹線ができて福井とのアクセスがよくなったとき、医療的ケアのお子さんと共に、軽井沢に夏の間1ヶ月滞在する、ということを一番乗りで始めたことがきっかけになっています。
Fox(門川):私の息子もボーリング・オピッツ症候群という日本でも数例しかない遺伝性疾患を持ち、重心(重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した状態を重症心身障害)ですが、子育てする中で知り合うお母さん方が医療的ケア児を持った場合にどうしてもお世話係になってしまう、ということはよくあります。当然はじめはお母さんも子どもの可能性を信じてたくさんの分野で意欲をお持ちです。でも、教育、行政、医療に触れていく間に、どんどん諦めていったりして潰されていきます。結果として、障がい児を取りまく環境への親としての関与率が減るし、意欲が失われていくケースを本当によく見ます。
紅谷先生:そういうケースは本当に多いですね。親御さんにとって子育てというのが、ケア児が第一子となることはとても多いのですが、そうなると「これが子育てだ」という認識を病院で歪んで受け取ってしまうことがあります。つまり、仮に医療者たちが子育てを処置としか語れないような病院で、生後一年間病院で入院して過ごしてしまうと、保護者は「子育てとは処置の集合である」という認識を得てしまいます。そして、それを自宅に戻ってからもしなければならないと思ってしまうんですね。それは健全な親子関係ではありません。医療者は良かれと思って「いい処置をすることがあなたの親としての大事な責任である」などと言ってしまうのですが、「暮らしをささえる医療」という観点から見ると、その言葉は保護者も子どもも結果的に傷つけます。
以前あるお母さんが、お子さんの病院での1年間の入院ののち家に帰ってきました。その日お母さんの仰ったことが「今日から私は睡眠を削ってでも一生をこの子のために捧げる覚悟で帰ってきましたので、みなさんどうか私たちを助けてください」でした。「いやいや、そんなことをしなくたっていいです、ぜんぶやるために僕らがいるんです。そんなことよりもこの子にはどんな大人になって欲しいとかどんなお友達がほしいとか考えて欲しいんです。」と伝えました。そしたら、そのお母さんは、そんなこと尋ねてくれる人は今までいなかった、といって涙されながら、「この子と親子になっていいんですか?」と言ったんです。医療の現場も良くなっていますが、「病気があるということは医療の手のひらで生きていくことなんだ」ということを医療者が教え過ぎてしまうと、弊害となります。
僕たちは、「暮らしを支える」ということにとことんこだわっています。そのためには、フルメニューを初めに提案します。つまり、退院後のご家族には「これから、訪問看護、介護、リハビリに毎日3回入ります。もし邪魔だったらひきますので言ってください。」と言うのです。「なにかあれば訪問看護があるから言ってください」では、多くのケースでお母さんは頑張りすぎてしまいます。結果、抱え込んで潰れてしまったり、看護師さんの処置を睨むようにみて、「あなた間違っているわ!」と言ったり、電話で「新しい看護師さんダメだから新しい人にしてください」とリクエストするようになってしまいます。でも、最初に全部入ると覚悟することで、お母さんは良い意味で手放しができるようになり、「私はこの処置が苦手だから看護師さんにお願いしたいんです」と言えるようになってきます。
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前半は、子どもたち(私たちも!)の幸せを考えた時に「遊び」と「ともだち」は不可欠であり、主に医療・介護の現場でどのようにそのようなことが可能なのかについてお話を伺いました。後半は、いよいよ「学校」が「すべての子どもたち」のためになにをできるのか、について紅谷先生と一緒に考えていきたいと思います。
インタビュー:2021.12.19
プロフィール:
紅谷 浩之(べにや ひろゆき)
医療法人社団オレンジ理事長
2001年、福井医科大学(現・福井大学)医学部卒業。福井県立病院、福井県内の診療所勤務を経て11年、在宅医療を専門に行う「オレンジホームケアクリニック」を開設。その後、医療的ケア児の活動拠点「オレンジキッズケアラボ」や、まちなかで住民の相談に応じる「みんなの保健室」、地域の幼小中一貫校との連携による病児保育を中心とした在宅医療拠点「ほっちのロッヂ」を立ち上げるなど、数多くのプロジェクトを展開している。